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情報の民主化 弱肉強食時代にできること

web1時代、ネット解禁。ホームページやブログでの情報発信者達は一方通行ではあるが、自身で集めた情報を世界に展開しその地位を高めていた。

web2となり情報の双方化。
SNS、YouTube等で情報の共有が始まり、インプット情報のスピードが一気に高まった。
しかしそこにはGAFAの中央集権が見え隠れしていた。

Google、Amazon、facebook、Apple
この巨大企業の中央集権に情報が集まり、世界が動き出した。

中央集権に不安を感じた、web3時代が到来した。
中央集権のない、情報共有時代。

情報スピードはさらに高まり、さらにそこには深いコミュニティーが必要となった。
人は元々一人では生きていきない。
歴史的にみても、集落をつくり、村をつくり、町をつくり国をつくってきた。
一人でなく、集団・コミュニティーの場をつくり生き延びてきた。

現代、心のコミュニティーの場をつくるために、
発信を繰り返し自分と共有できる人たちとつながっていく。

そこには情報の民主化が実現されたものだ。
全員に同じ情報を提供してもそれを受け取る側がどれだけ貪欲に自身の器に入れることができるかが問題となる。

強者は常にアンテナをはり、情報を吸収し続ける。
しかし同様にしかも平等に情報は流れてくる。

では、強者と弱者の大きな違いは何か?

結論は、行動するかしないかだ。

例えば、富士山山頂の景色を見ようとする。
情報社会、画像や動画などで富士山山頂の景色などあふれんばかりにある。

ここで、実際に自身の足を使い登山をし経験を積み、山頂まで登り景色をみたとしよう。
この景色は間違いなく、画像や動画で見るものとは雲泥の差がある。
何故なら、そこには自身の足で登ったという、辛い経験やその場で味わう空気、人との出会いがある。つまりプロセレスを体感していることだ。
強者はこの行動力と経験値が圧倒的に違う。

確かに、情報の民主化となり皆平等になったように見えるがそこには強者と弱者の大きな差がすでにある。

この弱肉強食時代を生き延びるためには、失敗を恐れずまず行動するチェレンジ精神が何より必要なのだ。

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