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ソーシャルディスタンス配達

彼は配達員だった。勤続3年目の社員だ。名前は後藤という。

ピンポーン......

10秒......

ピンポーン......

5秒......7秒......いないのかな......

「ちょっとお兄さん!郵便屋さん!」

振り向くと、数メートル先、開いたエントランスの自動ドアの向こうで花柄のマスクをした女性が彼に向かって「ダメダメ」と手を振っていた。

「ここの住人はね、みんな荷物は受け取らないから。置き配でいいの!ソーシャルディスタンス!」

彼が返事をする間も無く、大声でそう伝えた女性は建物に入ることなく去っていった。

置き配と言っても、建物に入るための次の扉を開けてもらわないと部屋の前にもいけない、と辺りを見渡すと、扉の手前に細い廊下があった。

廊下を進むと、驚いたことに101号室から部屋が並んでいた。荷物の宛名は103号室だ。

じゃあ閉まっていたあの扉はなんだったんだ......二階にはどうやっていくんだろう......
疑問は湧いたが、ひとまず部屋の前まで行けたのだ。気にしないでおこう。

扉のドアノブには配達員への伝言があった。

「荷物は扉の前へ。ソーシャルディスタンスを保ちましょう」

ほっとして荷物を置いてその場を去ろうとすると、今度は廊下にこんな警告があった。

「側溝の内側の敷地内に固定物を置かないようにご協力ください」

側溝の内側の......敷地内の......えっとー......

いまいち内容が頭に入ってこない警告文だ。何度か繰り返して読んでいるうちに、言葉が通じるようで通じない、夢を見ているような不安な気分になってきた。

思い返すと、建物は側溝というか堀のようなもので囲まれていた。玄関に向かう橋が架かっていて、そこを渡って入ったのだ。側溝というのはそれのことだろうか。

内側の敷地内というと、今立っているこの場所のことだろうか。固定物、固定物とはなんだ。荷物は置いていいのだろうか、でも荷物は固定されるようなものではない......

ふと荷物を持ち上げてみようとすると、それはびくともしなくなっていた。

固定されている!どうしたらいいのだろう。

警告を無視してしまったということだろうか。責任を取らないといけないかもしれない。

焦って荷物を無理やり動かそうとすると、誤ってバランスを崩してしまった。103号室の扉に勢いよく体がぶつかった。

扉は勢いよく開いた。

扉が開いたその前には、一瞬真っ白な空間が広がっているのかと思われたが、奥に103号室のもう一つの扉が見えた。

足元にはチロチロと水が流れ、その流れは隣の102号室や104号室、さらには同じ階の全ての部屋の前を流れているようであった。

こういう作りの料亭へ一度行ったことがある。
個室の周りに水路がめぐらされていて、小船で食事が運ばれてくる店だった。

それでは、今立っているここが側溝の外、敷地の外なのだろうか。住人はどこに住んでいるのだろう。扉から出てくる人間も、帰ってくる人間も見当たらなかった。

配達員は扉をそっと閉めると、何も見なかったということに......と漫画のように一人つぶやくと、急ぎ足でその場を去った。



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