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今年のM-1準々決勝までのハイライト〜①三日月ヶ浜について

 今年のM-1は、気になっている芸人さん達が沢山いて、1回戦から動向をずっと見続けていたのですが、とりわけ熱くなって応援したトリオがいます。ツイッターでは再三つぶやいていましたが、元浜口浜村の浜村さんと、三日月マンハッタンのお二人で結成されたトリオ『三日月ヶ浜』です。

浜口浜村を知ったきっかけ

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 左から松竹の三日月マンハッタン又吉さん、仲嶺さん、元浜口浜村の浜村さん(現•フリーのピン芸人浜村凡平太さん)です。この三人でユニットとして組まれたトリオが『三日月ヶ浜』です。

 2015年に解散した浜口浜村さんを知ったのは、今年の4月、米粒写経のサンキュータツオさんの著作、POISON GIRL BAND研究を読んでからです。

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 論文の中で複数ののネタが取り上げられていました。詳しくは過去の記事に書いています。

 以来、私は浜口浜村さんのネタの世界観に夢中になり、暇があれば動画を漁るというような生活をしてきました。初めて見たネタは代表作である『空手』。これを動画で見た時に、初めてランジャタイを見た時のような衝撃が走ったのを思い出しました。

お笑いって笑わないといけないもの?

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 長い間お笑いを見続けているせいか、最近は『お笑いで無理に笑う必要はない』というようなおかしなことを考え始めています。手を叩いて、涙を流して笑う事、どうもそれだけがお笑いではないような気がしています。

(少し悲しくなるときもあるジャルジャルのネタタネ。)

 例えば、ジャルジャルが毎日UPしているジャルジャルタワーの動画を、全て声を出して笑いながら見ている人がどれくらいいるでしょうか。
 「全然刺さらないな」と、全く無言で見る日もあると思うし、全く無言で見たこと自体を面白がって笑うような日もあると思います。笑いよりも「すげえな」という感嘆が先にくる日もあると思います。悲しくなる日もあると思います。

 もちろん、ジャルジャルに限らず、どんな芸人さんのどんなお気に入りのネタでも、笑える日と笑えない日があったりすると思います。でも、外部からの評価がどうであれ、そのネタ自体に価値がないわけがなくて、芸人さんが産み出した一種のその時だけの表現の一つとして、確かな価値を持ってそこにあるものでしょう。

客ウケとは別に、自分の感性がある

 全く客にウケていなくても、その表現に価値はある。POISON GIRL BANDの漫才が”日本一つまらない”と言われなくなったのはいつからでしょうか。ランジャタイはいつからウケるようになったのでしょうか。

(国崎さんに死ぬほどツボっているお客さんの笑い声がオモロい。)


 時代とともに価値が移ろいゆくものであるならば、”客ウケ”というもの、周りの評価などはあまり信用がならないもので、ただそれを見た瞬間に自分の感じた面白さ、心を動かされた事実のみを信じるしかないように思います。

『空手』というネタ

 話は戻って、今年4月にyoutubeで初めて見た浜口浜村さんの『空手』のネタは、POISONやランジャタイを初めて見た時の表現と似たような感覚を私に与えてくれました。”funny”だけではなく、”interesting”も含んだお笑いというか…。純粋にケラケラと笑うだけではなくて、ある種の”感嘆”も含んだお笑いというか。それも、例えばヘヴィメタルバンドのギタリストの超絶テクニックのような、技術で驚かせるようなものでもなくて、ただ、哲学的で、音楽的で、芸術的で…うまく言葉が出てきませんが、見たことも無い純粋な個性がぐるぐると爆発しているような表現でありました。

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 そんな私と同じように、当時(2010年代前半)の東京の地下ライブを見に来た大勢のお客さんの関心を惹いたであろう『空手』のネタが、松竹の実力派コンビ、三日月マンハッタンとのトリオでリバイバルされる。それを知ったときの喜びは言葉では言い表せません。それは『空手』のネタが、とても音楽的で、リズムや声のトーンで笑いの好き嫌いが決まりがちな自分にしっくりとハマるものだったからなのかもしれません。


 ↑の記事にも書きましたが、心が震えるような思いをしました。だからこのネタでM-1に挑戦すると聞いたときはとても嬉しかった。

M-1での三日月ヶ浜

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 1回戦は順当に勝ち上がったけれど、TOP3の動画には載らない。ウケはどうだったのか気になりました。
 2回戦は見事に勝ち上がり、とてもウケたとの情報に嬉しくなりました。


 3回戦からは動画でも見られました。ライブで見た時よりもすごく進化していて、面白くなっていて、感動が止まりませんでした。
 

満員のお客さんの暖かい拍手


 そして準々決勝。ここまで勝ち上がるとは正直思っていなかったのですが、今年の審査員の方は見る目がある方だったようです。日程も奇跡的に合い、ルミネに生で見に行くことが出来ました。

(動画ではカットされてるけど、ネタ終わりの割れんばかりの拍手を忘れられない。)

 準々決勝の4分尺の『空手』は、3人で代わる代わる大喜利を繰り返していくような、観客の期待を裏切るトリッキーな仕掛けがたくさんありました。わたしは何度かネタを見ているくせに、最後の最後まで、次に何が起こるか全く読めませんでした。
 予想を裏切られた時に笑いって起こるものなのでしょうか。生で見ると客席の心の動きが直に伝わってきます。序盤は何が起こるのか分からずお客さんもポカーンとしていますが、後半に向かうにつれてどんどん笑いの量が増えて行って、終盤付近でMAXになる。『押忍!!』と小気味のよい挨拶とともにネタが終わると、客席は、一本の映画を見終わったような温かい拍手に包まれました。後ろにいた男性の集団が『すげぇ…』『このひとつだけで…!』と感嘆の声を上げるのが聞こえました。その暖かい評価が何だか自分の事のように嬉しくて、私は溢れ出る涙を止められませんでした。

東京のインディーズライブ界に爪痕を残した人々

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(いつぞやの漫才王のエンディングで話す気ゼロで舞台袖に向かい傍観しているランジャタイ伊藤さん。)

 有名どころだとランジャタイに代表されるような、既存の漫才、既存のお笑いの在り方にとらわれない、東京の自由なインディーズライブの雰囲気が私は大好きです。時に『なんでもあり』『ぐっちゃぐちゃ』とか言われたりします。

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(毎回死ぬほどツボってしまう、見世物小屋のジャック豆山国王。)


 これも私の主観になりますが、東京の地下芸人さんは、関西の芸人さんほどサービス精神が強くないように思います。『これを笑えるか?』と客を挑発してくるようなお笑いも多くあります。客は客で、そういうものの面白さを何とか見出そうと、能動的な見方をする方が多いです。絵画の魅力を必死に見出し言語化しようとする芸術評論家のように。

 良くも悪くもそんな雰囲気を作り出す一端を担ったのがこの『空手』のネタを産み出した、浜口浜村なのだと思います。ネタを見てもらえば分かると思いますが、とても斬新です。真面目に追っていなくてリアルタイムで追っていなかった過去の自分を悔やんでいます。

(好きなネタ①、映画と小説。二人の役割がぐるっと入れ替わる時の爽快感と言ったら!)

(好きなネタ②、三輪車。体当たりしたり、転がしたり、動き方でツッコミのバリエーションを増やすという表現をしてます。二人のニコイチのじゃれあい感が微笑ましい。)

終わりに

 (つべこべ言わず上の動画を見て欲しい。)

 ここまで、酔っ払った勢いで長くなりました。私が三日月ヶ浜や浜口浜村が好きなことも『個人の感想』と言えばそれまでなのですが、お笑いがこれだけ多様化し、細分化された今だからこそ、『個人の感想』を各々発信していくことがお笑い全体を盛り上げることにも繋がるかなと思い、このような発信をしています。

 三日月ヶ浜というトリオが、今年のM-1で、確かに私の目に黄金に輝いて舞台に立っていたということ、心を震わせたという事実が、読み手の方に少しでも伝わって下さることを心より願っています。

(浜村さんの半生を描いた著作も涙なしには読めません。是非!)

 


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