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こんな街では暮らせない、出ていきたい。

(約2,000文字 読了まで約5分)
ご覧いただきありがとうございます。適応障害治したいマンです。

こちらの記事で書いた、玉置さんと安全地帯について書くことが私にとっては闘病日記になる、という結論に従って、書きたいと思います。

玉置さんのソロ曲に「フラッグ」という曲があります。
アルバム『CAFE JAPAN』に収録されています。7曲目です。

彼が日本の音楽シーンを席巻していた80年代の東京は、今よりもずっと空気が澱んでいて、街自体も汚かったようです。これは彼の言葉ですから、この時代に生まれていない私からするとただ想像するしかありません。

自動車の排ガス規制やエコカーと呼ばれる類の登場、災害を踏まえた耐震基準の改定、景観改善、その他諸々・・色々と要素はあるのでしょうが、そうやって東京は変化してきました。
その結果、今の東京は玉置さんにとっては昔より綺麗で過ごしやすい場所になったようです。

この曲は、昔の東京で、玉置さんが精神的にも肉体的にも参ってしまっている様子を歌っている哀愁漂う曲です。

おかしくなりそう 悲しくなりそう
こんな汗とアブラの町は 捨てて惜しくもないよ
見えなくなりそう さみしくなりそう
ガソリンの匂いと 低い空 蒸し暑い風

「フラッグ」作詞:須藤晃 作曲:玉置浩二

ガラクタだらけの街。澱んだ空気。油の匂い。眠らない街。人工的な光。星の見えない、低い空。
健康的な暮らしからは程遠い、あまりにも雑多な環境で疲れ果てた姿が、歌声に表れています。
歌声以外の音では、工事現場のようなガシャーン、ガシャーンという音で始まる虚しさ漂うイントロ。発狂しているようなうめき声とシャウト。曲の終わりにはため息も入っています。

この曲は彼のソロ曲では定番の「JUNK LAND」と非常に通じるものがあり、同じ雰囲気を感じます。東京でボロボロになってガラクタになっても生きていく、空を見ながら故郷の旭川を思う姿が思い浮かびます。歌詞に"旗"とあるあたり、「フラッグ」という曲名とまんま重なります。

北海道の旭川という、大自然に囲まれた町で生まれ育った彼からすれば、当時の東京はこんな風に映っていたのでしょう。
そして当時の彼の精神状態が、よりその傾向を強くし、まるで抽象画のような、東京から何か観念的なものを取り出したような音楽を生み出したのだと思います。

私は今よりずっと精神的に荒んでいた時期に、この曲を聴いて、自分の気持ちと「同じだ!!!」と思いました。
満員電車という鉄の箱に詰め込まれて都心に輸送されていく、余裕のない疲れた顔をした人々。都心に近づくほど増えていく、ビルがまるで森でいう木のように我が物顔で突っ立っている光景。夜でも明るすぎて星の見えない空。澱んでいてなんだか臭い、風や空気。情報過多で脳が疲れる。スピードが速すぎる。気が休まらない。吐き気がするし発作も出そうだ。東京は居心地が悪い。こんなところは人間が生物として健康的に暮らす場所ではない、働く場所でもない。ここから消えたい。出ていきたい!!!!
そんな風に思っていたときにこの曲と出会ったので、「同じだ!!!」となったのです。

そして旭川への移住を本気で考え、移住説明会だったり現地での仕事や暮らし、気候に生活費やらなにやらを調べて妻に頻繁に話をしていました。
旭川でなくとも、生まれ故郷である札幌に住むのはどうか、という感じにもなっていました。

とはいえ正常じゃない精神状態での重大な決断は取り返しのつかない失敗にも繋がりますし、妻も辟易していました。
そもそも、体調も悪いのですから移住なんてストレスのかかることはできません。

ですから、この曲を聴きながら都心を移動し、街を見て、シニカルな、厭世主義者のようになっていました。

学生時代は都心に入り浸り、友人と朝帰りしたり、働き始めてからも倒れるまでは、夜が明けるまでずっとクルマで走り回っていたりしたので、むしろ大好きな場所だったのです。
それが病気でこんなにも地獄のような場所に変わるとは思いもよりませんでした。

ほんの少し前の話ですから、玉置さんにとってはすっかり綺麗になった場所です。それでも、私にとっては東京という場所が、人間を狂わせるおかしな場所に映っていたのです。

精神的にだいぶ回復してきた今も、都心に住み都心で働くということは望んでいません。それでもこの頃よりは落ち着きました。
良い意味で、刺激が欲しいときに遊びに行く場所、という感じになりました。

結局、その人の精神状態や価値観というものが、目に映る景色をどう捉えるか、そういう話だと思います。

ちなみに、この曲の最後は"自由のフラッグ"という歌詞で締めくくられています。
雁字搦めになって身動きが取れなくなった状態でも、自由を求めて、自分を解放する方向に行くんだ、というような気概が感じ取れて、ただ絶望しているだけの歌ではないのだな、という救いがあると感じます。

数年後の私の目に映る東京は、どんな街になっているのでしょう。
恐れるのではなく楽しみにして、闘病生活を過ごそうと思います。

それでは、また。

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