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高校時代に好きだった先生が今でも忘れられない話。

こんにちは。naoです。またまた自分語りシリーズでございます。
前回、性格診断メソッド『MBTI』をもとに自分の性格を分析し、生きづらさを抱えながらどう生きていくかを考える記事を書いたのですが、それを書いていてさらに掘り下げたくなったのが「恋愛」です。

私は来月二十歳になりますが、これまで誰かとお付き合いした経験はありません。好意を寄せられたことなら何度かあります。でも、彼らとお付き合いしなかった理由は単純にしっくりこなかったからなのです。それから、私は男性というものがそもそも苦手ですし、自分に自信がないので自分から近づくことはしません。相手が近づいてきた場合、その人が苦手じゃない限りはある程度は歩み寄りますが、苦手なタイプだとシャットダウンしてしまいます。ごめんね。
反対に、自分が誰かに恋をした場合、または好意を抱いた場合。
基本的に一途なのですが、自分からアピールするのが苦手です。どうやってしたらいいのかわからないし、自分がしたらきもいかもって思っちゃうからです。
それから、自分が求める理想のタイプは「自分を理解して受け入れてくれる人」です。しっくりくる人がいなければ、別にお付き合いする必要はないと思っているので、多分これからもしばらくはお付き合いとかしないと思います。しかしながら、実際2年会っていない人に自分を理解して受け入れてくれる人がいて、私は今でもその人を忘れられずにいるのですが、いろいろあって今は私がただ想うだけです。これについては次回にでも記事にしたいな。

こちらが前回書いた記事の中の「私自身の恋愛」について簡単に説明した引用部分なのですが、今回の記事のタイトルやこの引用部分をお読みいただければわかるように、今回の記事のテーマは「私が今でも忘れられない人とその乗り越え方」についてです。

※本題に入る前に注意していただきたいのが、これは私が私自身の分析をしたり、問題の解決策や答えを文章を書くことで見つけたり、これを読んでくださった方がコメントでアドバイスをしてくださり、それを通してこの問題を乗り越えたり…というのが目的です。(つまり自己満)
私の思い出をつらつらと書き綴ることになりますので、私と同じような境遇に置かれている人と私自身以外の方にとってはなんの利益もない記事でございます。それでもよろしければお進みください(笑)

1. 私の恋愛における性格

思い出話をつらつら語る前に、まずは私自身の恋愛における性格タイプについて。
私はMBTIでいうINFP(仲介者)であり、「INFP 恋愛」で調べた際に出てくるサイトに書かれている、まさに典型的なINFPの恋愛パターンに当てはまる人間です。

INFPの想像は、子供のときにおいても、恋愛や結婚へと向かうことがあります。よく思い出してみると、女児向けの童話は、 「二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。」 で終わるものが定番です。しかし、内向タイプなので、思春期を境にその内向性がかなり高まり、 一人で恋愛漫画、恋愛ドラマ、恋愛小説などを見て過ごすことになります。
内向的感情(Fi)タイプなので、 感動したことや可愛らしいと思ったことに対してはひどくこだわります。 恋愛の相手には一途になるでしょう。内心かなりのロマンティストですが、ガードが固いので、 自然と恋愛関係になることは少ないでしょう。かなり内気なところがあるので、自分から積極的に働きかけるよりは、 状況を見守ってあれこれ違う角度から考える時間を続けます。 その間に機会を逃してしまうことがあります。
かまって欲しい、かまってあげたいと思っているのに、素直に自分の気持ちを打ち明けられず、 気持ちとは裏腹に冷たい態度を取ってしまうこともあります。 とても面倒なタイプでしょう。
根底には、誰も自分のことを分かってくれないという思いがあります。 趣味の悪いことに、その悲嘆に打ちひしがれている状況を無意識のうちに楽しんでいることさえあるかもしれません。

- 16タイプの性格分類まとめWiki* 『INFPの人間関係』より
(https://wikiwiki.jp/16types/INFP%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%80%80%E6%81%8B%E6%84%9B)

こちらは16タイプの性格分類まとめWiki*というサイトからの引用ですが、まさに私はこんな人間です。

はじめはよそよそしく冷たく近付き難い雰囲気を与えるが、打ちとければ誠実で相手を大事にする。ガードが非常に硬く、他者を簡単には受け入れない。
人と打ち解けるのにはかなり時間がかかる。(稀に相手によっては時間のかからないこともある)
相手の外見や地位というよりは相手の本質を見ぬこうとし、「自分をありのままに受け入れて欲しい、理解して欲しい」という思いが強いので、自然と理想が高くなってしまう。
内向的なので基本的にアピールは苦手で、相手が近づいてきても拒むこともしばしば。

なんて面倒くさいんでしょうか…!!
まあ、これが私なんですけれども(笑)

このようなINFPの恋愛における特徴を羅列していると、本当に恋愛に向いていないなあなんて思ったりもしますが、この私の硬いガードを短期間で簡単に破り、私の心をいとも簡単に開いてしまったのが、私の高校時代の先生、Kです。

2. K先生との出会い

好きな人が先生だったと聞いて
「はあ、また先生と生徒の禁断の恋ね。ないない」
と思われる方も多いでしょう。

私も高校1年生まではそのタイプでした。
友人が既婚者の先生に恋しているのを横目で見ながら「先生はないな」と思っていました。

その考えが変わったのが、高校2年生になった春のことでした。

当時、中高一貫の女子校である私の学校では、委員会ごとに委員長と副委員長がいて、高校1年生の終わりに委員長から直々に選ばれた子が副委員長になり、そして副委員長がそのまま委員長に昇格するというシステムで、私も高1の終わりに学校美化の副委員長に選ばれました。

そして高校2年生になった直後の始業式。
友人から「若い男の先生が新任で入ってくるらしい」と聞かされ、それをちょっと楽しみにしている反面、若い男性が苦手なのもあって「そうなんだ…若い男の人苦手なんだよなあ」とちょっと不安に感じている自分がいました。

その新任の若い男の先生がK先生なのですが、友人から聞かされた通り、先生は大学卒業後すぐに私の高校に就職したようでした。当時の年齢は23歳ですかね。

私は始業式で初めて先生を目にし、先生が「おはようございます!」とマイクも使わずに熱血教師も驚くような挨拶をしたのを覚えています。
そして「うわ、こんな人か。熱血系は苦手だなあ」と思ったのも。
それがK先生への第一印象。
正直なところ、印象はあんまりよくなかったです(笑)

そして始業式が終わり、掃除の時間に。
私の委員会は学校美化の委員会で、その副委員長である私は掃除の時間の始めと終わりの放送をし、掃除の時間は学校中を見回るというのが仕事でした。掃除開始の放送をするため、教室から放送室へ向かったのですが、なんと放送室の前にはK先生が立っていて、のんびりと廊下の掲示物を眺めておりました。

先ほども説明しましたが、私は内向的で、初対面の人(特に男性)にはガードが硬い人間です。
そのため、とっさにK先生をスルーして放送室に駆け込み無事に放送を終わらせたのですが、それだけで終わりというわけにもいかず。
放送室を出ると、委員会の担当の先生がK先生と一緒に立っていて、委員長である先輩もそこにいて、何やら話があるような雰囲気でした。
まあここで嫌な予感がしたのですが、それが的中。
「今日からこの委員会の担当になりました、Kです。よろしくお願いします」とK先生が自己紹介をしたのです。
しかしながら、ここで私が思ったのが「さっきの始業式と全然雰囲気が違うじゃん。なんかこの人ほわほわしてる」ということ。
さきほど全校生徒の前で熱血風の挨拶をした人には見えませんでしたし、何より、K先生はおっとりした人にしか見えないのです。
ここでちょっとほっとした反面、先生に興味をもっている自分がいました。
そして、これがすべての始まりでした。

3. K先生と私の日常

先生がおっとりした人であるというのをすぐさま感知した私は、先生を観察し始めました。
その理由は「好奇心」です。そして「好意」もあったかもしれません。
とにかく、この先生が気になって仕方ありませんでした。
でも、「気になる=ガードを緩める」ではないので、最初の頃は自分から近づくことは絶対にしませんでした。

通常の学校生活がはじまり、掃除の時間には「新人教師」である先生は私や委員長である先輩のあとについてきて、委員会のいろいろな業務を学び始めました。

先生と初めて会話らしい会話をしたときのことも鮮明に覚えています。
学校の段ボールの束を、学校の外のゴミ捨て場まで運んでいるときのことでした。その日も先生は私と先輩についてきました。
ゴミ捨て場までの行きの時間は、先輩のクラスの副担任だからなのか、先生は先輩と話しながら歩いていました。それを後ろから眺める私。そこには少しだけ、嫉妬心がありました。
そして帰り道。1人でとぼとぼとカートを押しながら歩いていたところ、先生が近づいてきました。そして一言。
「もうすぐ修学旅行だね」と。
私はこれにいささか驚きました。普通、初めて話す時って「○○さんだよね」とか「何年生だっけ」とか個人的なことを聞くはずなのに、彼はなぜか「修学旅行」を話のトピックとして選んだのです。
そして、なぜだかこれで心のガードの鎖を少し緩ませた自分がいました。
なんとなく、この人は大丈夫だと感じたからです。

この初めての会話を皮切りに、K先生は私にもよく話しかけるようになりました。そして私も、先生と会話するたびにガードを緩ませ、そして心を弾ませていました。

先生への恋心に気づいたのはこの頃です。(4月の中旬ごろ)
先生への興味が恋心に変わり、それに気づいた時は必死にそれを否定しようとしました。「先生に恋するなんて、漫画じゃないんだから」と思いながらも、気持ちは強くなっていくばかりでした。
私はINFPではありますが、ある程度現実は見ているつもりです。当時の私も、先生と生徒というのは絶対に一線を超えてはいけないと考えていたので、先生への気持ちは「憧れ」「癒し」だと友人には説明していました。
そして自分でもそう思い込もうとしていました。

でも、先生といると楽しくてほっとして、なぜだかガードがどんどん緩くなっていく…
今思えば、これって紛れもない、純粋な恋だなと思います。
先生が若いからじゃない。かっこいいからじゃない。一緒にいて心地いいから好きになる。
常に人の本質を見ぬこうとし、警戒してしまう私から見ても、先生は純粋で穏やかで優しくて、いろんなことを感じすぎたり考えすぎたりする私にとって、先生は平和をもたらしてくれると同時にワクワク感も与えてくれる、そんな存在でした。

こうして先生とどんどん仲良くなっていき、掃除の時間にはふたりで校内を見回るようになりました。その頃には、もう私は完全に先生に心を開いていました。親との喧嘩の話、地元のちょっとしつこくて気持ち悪い男の子の話、クラスの友達と喧嘩した話、成績の悩み事、地元の話、好きな歌手の話…
楽しいことも悲しいことも腹が立つこともすべて、たくさんのことを話しました。
会話のトピックは大体私についてでしたが、時には先生も思い出話やその日の出来事、ちょっとした悩みを話してくれることもありました。

そして先生は、私が相談をする時、いつも最初はふざけて真剣に聞いてくれないのに、実はその話を覚えていて心配してくれて、次の日には「あれ大丈夫だった?」とわざわざ聞いてくれることもしょっちゅうでした。
そうやって「大丈夫だった?どうなった?」とその話をしてから何ヶ月も後だったり1年後に再び聞いてくることもありました。
当時、ストレスで精神的にも落ち込みがちで体調も崩しやすかった私を誰よりも心配してくれたのも先生でした。
周りの人はきっと「仮病だ」とか「心が弱い」とか思っていたのでしょうが、先生はいつも純粋に心配して気遣ってくれました。
私が落ち込んでいたり体調が悪かったりした時、私がそれを見せないようにしていても、最初に気づいてくれるのはいつも先生でした。
私が困っている時、人に頼めない性格であることも、先生は瞬時に見抜いて「naoさんって人に頼れないタイプでしょ。困ってるなら頼ってくれたらいいのに」って言ってくれたり。
先生は洋楽なんて詳しくないのに、私が好きな洋楽の歌手の話をしたらYouTubeで聞いてくれたり。新曲が出たら次の日には「新曲出たね」って言ってくれたり。
クラスで飼ってたウーパールーパーの水槽を「作ってあげる」と言って失敗した時には、2万円くらいの大きい高級な水槽を買ってきてくれたり。
私の地元(高校から遠く離れた他県)に夏休みに行ってみようかなっていってくれたり。地元がテレビに出てた時もちゃっかり見てて、わざわざ報告してくれたり。

ああ。書ききれない。

いつもいつも、先生は私を他の生徒より特別扱いしてくれました。だけど、超えてはいけない一線を超えることはなく、常にその一線の外側から見守ってくれていました。

そして、周りから見ても自分から見ても、先生にとって私はちょっと特別なお気に入りの生徒のようでした。
時には後輩や友人から「K先生はnaoといるとすごくいつも楽しそう。すごい笑顔だよね」と言われることも。
K先生のことが好きな同級生や後輩から嫉妬されることもありました。
私はそんな日々を、苦しみながらも楽しんでいました。

高校時代は私のこれまでの人生の中で1番辛かった時期です。
だからこそ、いつも気にかけて特別扱いし、手を差し伸べてくれたK先生を、私は大学生になった今でも忘れられません。
1番辛かったけれど1番幸せだった時期。
先生がいなければ、1番辛かっただけの時期になっていたはず。
先生がいなければ、もしかしたら今の自分もいないかもしれない。
それくらい先生は私にとって重要な人です。

4. 私の恋愛相談

これまで先生との思い出を書いているうちに、先生への思いをたらたらと書き綴ってしまったわけですが、お察しの通り、私は先生とはもう卒業以来会っておらず、それなのにまだ忘れられていません。
(大学1年の夏に母校を訪問したのに、運悪く先生が不在だった)
そして、そのせいで他の人を好きになれません。これが問題なのです。

いくら先生が特別扱いしてくれたからといって、私はきっと先生のお気に入りの生徒だっただけにすぎないでしょう。
恋人だっているかもしれません。私のことなんて忘れてしまっているかも。
もしかしたら、もしかしたら私なんてそもそもお気に入りでもなんでもなかったかも。

最近はこんなことばかり考えてしまいます。
答えなんて、先生以外誰も知らないのに。
こんなに好きなのに、どうしたらいいかわからないんですよね。
この気持ちのやり場がないんです。だけどこの気持ちはどんどん強くなっていく。

記事の冒頭で説明した通り、私は典型的なINFPの恋愛タイプに当てはまります。「自分を理解して受け入れてくれる人」を1番求めています。
まさに先生がドンピシャだったわけです。
そしてその先生は恋愛関係にはなれない人だった。本当に運の悪い女です。

ここまで読んでくださった方は「思い出を美化してるだけじゃないの?」と思われるかもしれません。
しかし、私は高校時代、毎日日記を書いていました。先生との出来事も、詳細に、事実のまま、淡々と書いていました。会話まで書いていましたし、何年も後に読んでも思い出せるように工夫して書いていました。
なぜなら忘れたくなかったからです。ありのままにこの記憶を保存して置きたかったからです。
だから、記憶を美化している部分は多少あったとしても、それでもこの気持ちは本物だし、あの記憶もやっぱり本物だと思うのです。
しかし、きっとそれが今の私を前に進むことから邪魔しているんですよね。

実は、私は今年の夏頃に教育実習で母校に帰る予定です。
もし先生が今年の春にやめたりしなければ、実習中は先生としばらく毎日顔を合わせることになります。
きっとこれは私にとって重要なチャンスになるはずです。
でも、先生に会ってどうしたらいいのかがわからないのです。

だから、私と同じように先生が好きだった方、そしてこの長ったらしい文章を読んで何かアドバイスを思いついた方がいらっしゃれば、ぜひコメント欄で教えてください。この運が悪くて諦めの悪い迷える子羊をお助けください。

5. 最後に、先生へ

もしかしたらのもしかしたら、先生がたまたまネットサーフィンをしていてこの記事に辿り着くかもしれません。
きっとここまで読んでいたら、自分のことだとわかっているはずです。
なので一応、ここでちょっとだけ書かせてください。

先生、お願いだから来年もあの学校で働いてください。
教育実習で再会した時には、同じ笑顔で、またふざけながら私のお悩み相談に乗ってください。彼女なんて作らないでください…

6. 終わりに

未練たらたら日記+知恵袋みたいな内容になってしまい、恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、ある程度自分の気持ちをかけてすっきりしたのでここで終わりにしたいと思います。
(もしかしたら後から恥ずかしさに耐えられずに削除。編集するかも)

もしかしたら、この記事を読んでくださった方の中には私の洋楽の和訳記事を読んでくださった方もいるかもしれません。
そんな方はいないとは思いますが、実は私が和訳してきた曲は、ほぼすべてが歌詞と私の先生への想いが共通しているものです。
たとえばCamila Cabello のAll These Years、Taylor Swift の I Almost Do、mxmtoon の dream of you、Beyoncé の I Miss You、Gabrielle Aplin の When The Lights Go Outなど。
全く。本当に諦めの悪い女だなぁ。
もしよければこの曲の和訳記事も覗いてみてください。

最後まで読んでくださった方がいるとは思えませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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