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【明智光秀と「桔梗紋」】

桔梗の花を見て皆さんは何を連想されるでしょうか?桔梗の花は万葉集で山上憶良が和歌を歌ったことでも知られ、日本古来からある古い花のひとつです。
「桔梗紋」と言えば、僕は戦国武将の明智光秀を思い出します。明智光秀(1516〜1582)は、本能寺の変(1582年6月21日)で主君の織田信長を撃った事件で有名です。6月21日に織田信長を倒したものの、7月2日には山崎の戦いで豊臣秀吉と闘い敗れます。短い天下取りでした。光秀は美濃国(現在の岐阜県)の明智氏の支流に生まれました。美濃国は鎌倉期に設置された守護・地頭制度により、守護職が置かれていました。そして、南北朝時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務めていたのが、清和源氏の嫡流である土岐氏です。ちなみに、先程の桔梗紋はもともとは土岐氏の家紋でした。「土岐桔梗」と呼ばれています。
もともと、美濃国は南北朝時代から守護の土岐氏が治める国でした。しかし、戦国時代の下剋上の風潮により土岐氏の家臣であった斉藤道三が主君の土岐氏を破り戦国大名の治める国となりました。
明智氏は、清和源氏土岐氏の支流氏族です。鎌倉時代からの武家の系統では、のちに戦国大名となった織田氏、斉藤氏より格上の家柄でした。しかし、時代の風潮の中で明智光秀は仕える主君を何度か変えました。斉藤道三に仕え、衰退期の室町幕府最後の将軍足利義昭に仕え、その後に織田信長に仕えました。
明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」は、1582年の梅雨時の6月21日のことでした。440年ほど昔のその時期、明智光秀が駆け回っていた道中の路上には桔梗の花が咲いていたのではないでしょうか?
桔梗の花が咲いているのを見ると、僕は不思議と明智光秀のことを考えます。「どのような思いで本能寺の変を起こしたのだろうか?」、「短い天下取りの後、逆臣として撃たれて果てる時に何を思ったのだろうか?」と。
ちなみに、江戸時代の終わりに活躍した土佐藩出身の坂本龍馬は明智氏の系統です。坂本家の家紋も桔梗紋です。坂本龍馬の坂本家は、明智光秀の娘婿であった明智光春の子である明智太郎五郎を先祖としています。路上で桔梗の花に出くわすことがあれば、是非皆さんにも明智光秀や坂本龍馬について思いを馳せていただきたくご紹介させていただきました。

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