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前田が一番『源平旗』

下の句カルタのこと書いたから
今度は北陸の遊戯のことをかく

ご相談

2013年に
知り合いの方から
問い合わせがあった。
『おもちゃだと思うんだけどわからなくて、
金坂先生ならご存知かと思いまして…』

写真を見てびびった。
『源平旗(旗源平)』だ

寄贈を申し出られた『旗源平』


『源平旗』は加賀金沢に伝わる郷土玩具で
江戸時代に発案されたとされる。

加賀前田家は
藩祖前田利家から武で世を渡ってきた。
江戸時代後期に平和になっても
戦いの心得は忘れてはいけないとして
源平にわかれ
サイコロ2つ振り
旗を取り合う児童遊戯として
成立し、伝わってきた。

80年くらい前のプレゼント

持ち主は今はおじいちゃん。
ちいさいころに親戚から送られた
という記憶しかないそうだ。
大阪のかなり有名な会社の縁者さんだった。

包まれていた新聞は昭和15年8月
違う1枚は、真珠湾攻撃の記事だったそうだ。
旗源平は金沢だけにつたわっているので、
石川の親戚さんか、縁者さんから
送られたものだろう。


旗源平のルール

サイコロをふたつ転がし、
その出目によって、
あいての旗の大きさやもう1回振れるなど
のルールが決まっている。

旗源平のサイコロの出た目には、
「ニサマノカンカンド(2と3)」
「ゴッシリハナカメ(5と4)」
「チンチンカモカモ(1と1)」
など独特な呼称があります。
一番良い目が5と1で「ウメガイチ」。
これは加賀藩主前田家の家紋「梅鉢」が由来とされます。
一番悪い目が4と2の「シノニ」で、死を連想させるためとされます。

加賀梅鉢(前田家)

徳川に今は従っているが
前田が1番である
という加賀前田家の気概がつたわってくる。

この時、児童館に寄贈の申し出をされたが
率直に、通常利用できるレベルのものではなかった。
作りも繊細で
旗の土台は輪島塗の漆器であった。

おじいちゃんとしては
こどもたちにあそんでほしい
とのおもいだったが
貴重な文化を後世に伝えるためにも、
博物館に寄贈するべきとお伝えした。

私からは、元々知っていた
博物館を数箇所ご提示した。

そうしたら、
おじいちゃんは
おばあちゃんと一緒に
そのうち2箇所に直接いきはった。
すごい行動力だ

嫁にだすのに、
嫁ぎ先を見ないといけない
とのことで、

後日、
『金坂先生、ご紹介された鳥取のわらべ館に寄贈して欲しい』
との申し出があった。
なんでもとてもわらべ館の
スタッフが丁寧でよくしてくれたから。
だそうだ。

わらべ館に

鳥取へは
私が代理でもっていった。

同じおじいちゃんがくれた
『スピンピンゲーム』と一緒にもっていった。
こっちは、流石に何が何だか分からなくて、
散々10年前にしらべて遊び方を判明させたものであるが、
T状の独楽を引っ張って回転させ、
ピンを倒しまくるゲームだった。
はじめて回った時は感動した。

これもまた貴重すぎたので
わらべ館へ

わらべ館のホームページにでてるってことは
だいぶやばい逸品なんだろう。

児童館で眠ってるよりはよっぽど良い
きっと
おじいちゃんの見立て通り
わらべ館さんは丁寧に受け取りしてくれた。

きちんとこれからも保存してくれる。

児童館で

旗源平は金沢の児童館でもよく遊ばれている。
全国の児童館職員の集まりで

金沢の先生を探し出し、
今回の旗源平の話をした。
『よくしってますね!』
そういって、
ひょうたん児童館から旗源平のペーパークラフトを送ってもらった。

それから六甲道児童館でも
旗源平を取り組んだ

加賀百万石の中には富山もはいっており

なんだか
北陸の文化というだけで
すこし嬉しい感じがする

巨大化もしてみた。

またやろう!
『うめがいち』ってみんなで叫ぶんや!!

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