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指導と支援のバランスの話

どろだんごは
小さな手が似合う。

『個々に合わせた+1』
ひかる泥団子指導
灘区の小学校1年生約95名
2コマ通しての生活科の授業

基礎のお団子だけ作ったら
みんなは
学校中の色んなとこにいって
自分だけのサラスなスポットを探します。

[力加減が出来ないA君]


もう、お兄さんではないw


なんどやってもできないの
そういって一人の子が
言ってきた。

一緒にやってみると
団子の、まるい形状を維持しながら
中の水分を押し出すという
力加減が出来ず、
つぶれてしまう
・手をおにぎり作るような形で維持
・中の水分出す
絞り出す時は手を平にしがちなので
相反する動きかもしれない。

指先を使った経験が
少ないのかもしれない。
もともと
自分のイメージと力加減が上手くいかないのかもしれない。
ボディアウェアネスがうまくいってない。

涙がこぼれた小さな手に
少し形状をつくった
団子を載せてあげる。
それを触る中で、崩さないようにするという感覚が生まれ、
優しく触れるようになった。
涙目の奥に初めて笑顔がうまれた。


[ずっとブランコしてたB君]

まねっ子

ほんとはやりたいのに
注目欲求が大きく、
ずっと違うことしてた
何度かいろんな先生が
声をかけに行くが
『僕はしない』とのこと
けれど、片付けて皆がいなくなってから
先生に手を引かれてやってきた。
目には涙がいっぱいたまってた。

『ほんとうはやりたかったの……』

自分に自信がなかったり
みんなの輪のなかにいる事が苦手だったり
誰かにとって特別になれないとき
一定数の子は
『特別に悪くあろうとする』
1番自分なりに考えた特別である
方法だ。
みんな
誰かの特別でありたい。

この場合、時間が終了しているにもかかわらず、
ほかの児童と
同じ状況を
環境構成すると

終わっても
特別扱いされたという点だけ
経験として学び
常にイレギュラーな行動とる
という成功体験を学ぶ。

しかし、一方で、
最後に勇気を振り絞って
言いに来た部分は《頑張った行動》として認めてあげたい。

そのため、
私が作った基礎の土でなく
休み時間を利用して、
グラウンドのベースの土をつかって
泥団子してた。
この場合
■準備された土では無いこと
→みんなと一緒にできなかったことのデメリット
■終わったあとではあるが、グラウンドの土でできた
→自分で意見を伝えることができたメリット
となる。

教育と福祉のバランス


ほんとは
個々のペースで
やりたいときに
やりなさいと言いたいし、
そんな風に関われたら
ベストではあるが
いまの学校のシステムと
職員体制では
個別のフォローは難しい。

けれど
みんな
こどもはみんな感覚も
感じ方も違って
それにたいする
個別なアプローチが必要な子もいる。

教育は
『指導』であり
受講者(こども)にみんなに一律の
学びを均一に伝える《平等の視点》

生まれながらの凸凹、発達の凸凹、理解の凸凹、などに対応して凹をフォローするのは福祉『支援』の役割だ。
《公平の視点》

保育における
主担任と
サポートする
副担任
みたい。

フィンランドでは
保険が高いこともあり
約95パーセントの小学生は
学童を利用する。
そして、その学童の先生たちは
午前中に学校で授業において
子どもたちの様々な凹をフォローする
教育と福祉はセット。

必要な子に
必要な+1が
できる社会でありますように。

手に取ったエノコログサが奇跡的に初めからウサギさんやった



#教育と福祉
#ひかるどろだんご
#あそび論
#うまくいかない経験づくり

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