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賭け事(ベーゴマ考34)


ヤクザのあそび?

ベーゴマを関西の街中でしているとき
80歳以上のおじいさんが
「懐かしいな。バイやないか!」
と十字巻きで、クルクル巻いて
70年ぶりやわいと言いながら
外投げで
角床に投げ入れる。

すると、その横で見ていた
一定数の同年齢の方から
「こんなヤクザな遊びを子どもにおしえているなんて」
とお叱りを受けることがある。
おじいちゃんは、
「やったことないから、おもろさがわからへんねん!ほっとけ」といいはるが、

その度に
ベーゴマの遊びとしての効果
・工夫
・悔しさ
・指先の巧緻運動
・積み重ねて上手くなる達成感
などの話をする。

しかし、怪訝な顔は変わらない。

なぜか

ベーゴマは
「負けたら相手に没収されてしまう」
ホンコというルールが本質なため、
こども同士の賭事のような側面がある

ベーゴマの歴史は
「賭け事」という性質から
学校から禁止されてきた歴史があるからだ。

いつから禁止されたのか

そんな一番初めの禁止はいつだろうか
記録を探してみた。

前訓 (1773)


(手島堵庵作。安政2年(1773)初刊。[京都]中嶋勘兵衛板)

男児、女児はこうありなさいという教科書

前訓は7~15歳の男児と7~12歳の女児を集めて、親孝行など「御幼稚様方御行作よろしく御成り候為の御教え」を説いた手島堵庵の講話そのものを指し、その際に配布された各回の講話要旨をまとめて1冊にした出版物が『男子・女子 前訓』(安永2年8月初刊)である。

うそつくな
殺生したらあかん
挨拶しなさい
朝起きたら神様と仏壇拝みなさい
など
こどもたちのあり方をかいている

その中に「あないち」をはじめとする
賭け事の禁止がかいてある。 

以下訳 たまむし@古文書くらぶさんより

その悪い遊びの代表的なものは
  以下の通りです。

①穴一※そのほかの勝負事。
 銭扱いを堅く禁じましょう。
 ※穴一=近世の子どもの遊び。
 穴打ちともいう。

 第一、博奕の兆しともなり、心持ちが
 賤しくなり、その上、友達とも争いが
 起こり、互いに気をもむようになります。

 そうした恨みつらみは、皆この勝負事
 から始まったものなのです。
 甚だ悪いものでしょう。

②何事でも人に隠してする遊び事は、
 固く禁止しましょう。
 これは前に言った嘘と同じことです。

 このほかも、この二つの例から推測して
 ください。とかく悪いことと気づいたら、
 しないほうが良いでしょう。


これらのことから、
江戸時代中頃には、賭け事に通じることは
こどもたちには「悪」である
との考え方があったことがわかる。

江戸時代のベーゴマに対する禁忌

そもそもバイゴマの材料になる
黒バイは関東以南でしか
とれなかったこともあり
江戸時代に火がついたバイゴマは
京阪神が主であった、

江戸時代
大坂町奉行所から発せられた町触や口達(補達) と称する触書や達書は,
大坂三郷の惣会所へと伝達され,
惣会所で町々の年寄へと申し渡され,
これを受けた町年寄が町会所へ町人や借家人を呼び寄せて 直接伝達するという過程を経て町内へ周知された.

弘化元申辰年(1844)7月18日

※陸奥宗光や斎藤一が生まれた年

大阪市史 四下
浪速おもちゃ風土記より

超現代訳
「最近な、小さい子どもたちで、貝まわしがはやっとるけど、一人で回しとるんはええねんけども、勝負してるのはあかん。だって増長して賭け事になるんだもん。しっかり親からいいきかしといてや!」
ってことみたい。

そのさきには、
メンコやビー玉の元にあたる、ろくど、穴うち、銭をとって宝引きをさせ、当てた者には菓子などを与える、辻宝引、道中双六とかも親がしっかりとめなあかん
とある。

何でもかんでも禁止は江戸時代も一緒やなぁ。

弘化三年丙牛年(1847)7月21日

大阪市史 四下
浪花おもちゃ風土記より

ここにも同じような内容がある
若干、奥様たちが前掛けをつけて街を歩くな!
っていう触れ書きがきになるが、
すてておく。

御触書は奉行所からでるんだろうけど、
誰かが
お代官様に
「こどもの風紀がみだれとる!」っていいにいったんやろか

近代(明治・大正期)

江戸時代で主に関西で禁止が通知されて
いるが、基本的にはこどもたちは
禁止されても隠れてでもやるんだな。
その一方で関東ではバイゴマは流行していなかった、これは鉄胴独楽が江戸を席巻していたからである。

明治になっても、特に京阪におけるバイゴマの流行はおとろえない。そのころバイゴマ界に激震がおきる
「鉄製バイ」の登場である。

明治10年、東京では
交通妨害として、凧、羽つき、こまが禁止された。町の過密、空き地がなくなり、こどもたちの遊び場が急激にへったのだ。そこに狭い場所でできるベーゴマが急激に受け入れられた。

昭和期(戦後もとめる遊びと禁止)

こどもたちに
賭け事の要素がつよいこれらの玩具を与えるかどうかずっと賛否が論議されている

昭和3年1929年「アサヒグラフ」
軒下三尺、うすべりを折って中をくぼませ、鋳物の小独楽で勝ちを争ふ。
負ければ一個一銭の独楽の所有権が移る。スポーツの興味であろうか、争闘性の表れであらうか。否自由な子供の天地を、うすべり一尺四寸に限るべく余儀なくされた近代都市生活の醜い一端だ

.........この時期は戦争に向かい、都市部は遊び場がなくなっていったこと、子どもの自動車事故が多くなり、遊び場であった道路からしめだされ、空き地なども極端にすくなくなったことから、こどもの遊びの貧困が問題になっていたようだ。

太平洋戦争後
こどもは戦争の最大の被害者であり、
栄養不足で体位は落ち、遊びたい盛りにそれを楽しむ生活環境はほとんど与えられず
遊びを楽しもうにも
その遊び道具はみじめなほど乏しい

やりたい遊びは
野球が一番であったが、道具がないためかくれんぼが流行する

このころ、こども自身が「わるい遊び」と
感じている内容に
ピストルごっこ
ギャングごっこ
泥棒ごっこ
うまとび(ドウマ?)
けんか
石投げ
べいごま
ビー玉
めんこ
ちゃんばら
Sの字遊び(Sけん?)
悪漢探偵(けいどろ?)
かんけり
パチンコ
路上遊技
とある

また母親が男の子にたいして「悪」とする
遊びは
めんこ、ちゃんばら、ビー玉

女の子に対しては「おはじき」が悪とされた

(警視庁防犯少年課「少年の遊びと道徳意識の発達」昭和27年)


紙一枚、鉛筆一本にも不自由するこどもたちに満足な玩具は存在するはずもなく、焼け残ったメンコやベーゴマはこども仲間の人気を集めた
それら貴重な遊び道具をめぐって
「賭博」要素が加熱する

そのため、女の子のおはじきも同じように
まきあげが加速したため
保護者、学校ともに「禁止」とせざるをえなかったのだ。

文献を調べていても、
この時期の一定数の文献には
遊びの項から意図的に
・ベーゴマ(バイ)
・メンコ(ベッタン)
・ビー玉
の三大王者は低俗な遊びとして除外されていたりする。

しかし、何をもって低俗で賭け事なのか
リスクを背負うから面白いことはたくさんあって、

負けたらデコピンな!
シッペな!馬場チョップな!
というのも
個人的には賭け事な感じがするし、

安全のため、ゆっくりスピードで進むジェットコースターは面白くなく
今からミイラ男がそこの物陰からでてきます。と宣言されるお化け屋敷に魅力はない。

今、関西にカジノができることに
経済効果からの賛成がある一方
それは、賭け事の魅力はみんなわかっていて、
ギャンブル依存症という言葉がチラつき、
パチンコや競馬、競艇など
行き過ぎた姿がよぎるためではないだろうか。

いきすぎるとなんでもよくない
けど、お金を賭ける大人の賭け事、博打ではなく、
勝つために、
自分で加工して
自分のスキルを磨く
というのが「遊び」の中にある「賭け要素」だ。
こどものころの遊びのなかで
勝つ為には、努力と工夫が必要ということを学んだうえで、
「思い通りにならん」
痛みということも知っておいたほうがいいとおもうのだ。
というか
思い通りになるあそびはおもしろくないんでないか
絶対にかつとおもってた人に低学年の子が
勝つからおもしろい。
だから
私は常に誰に対してもほんきで
床いれする!

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