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「ちっちのち」の話(ベーゴマ考49)

掛け声の違い

子どもたちの遊戯
及びその源流を辿るのは文献や記録げ残ってないので難しい。

ベーゴマの対戦時の掛け声は
私たち神戸組は
「いきまーす、せーの」であり
これは、TBC(大正ベーゴマクラブ)やOBC(大阪ベーゴマクラブ)
の影響である。

一方、関東は「ちっちのち」が多い。
不思議なことに、
この掛け声が全国に飛地のように広がっている。

ちっちのちの源流

関東の掛け声「ちっちのち」
その起点はどこなのかは
謎が残る。

そもそも古い文献にでてくる
関東の掛け声は
「ちっちのち」
ではないのだ。

現在おなじ「ちっちのち」
にしても
「ちっちーのち!」
で出すところとか、タイミングもいろいろある

そもそも
「ちっちのち」ってなんや??


指スマ(いっせーのせ)

言葉で近いことで思い起こされるのは
「指スマ」とよばれる遊びである。
イメージできるだろうか

両手をグーにして左右の親指を上にしてあげ、参加者全体の上がった指の数を当てる。

関西では
「いっせーのせ」
とよばれ、
各地で様々な名前があり、呼び方が異なる。

これがもとか??
いや
ルーツはもっと前にさかのぼる

調べていくと

ジャンケンの掛け声にいきつく。

じゃんけんぽん

「じゃんけんぽん」
バリエーションとして
「じゃんけんぽい」とか
関西の「いんじゃんほい」
がいまでこそスタンダードだが

じゃんけんぽん

明らかにテレビの普及によって
東京の掛け声が広がったようだ。

それまで
日本各地で
タイミングを合わせるために
様々なよびかたがあった。

絵本作家で児童文化研究家の加古里子(かこさとし)は、昭和23年から平成12年までの52年間にわたり日本全国のじゃんけんのかけ声を数千種類も収集し、著書『伝承遊び考4 じゃんけん遊び考』(平成20年、小峰書店刊)の中でそれを紹介している。
この本、持ってる気がするから
探さねばならないw
児童館かしら

この本によると「ちっ、けっ、た」は茨城・千葉で、「ちっ、けっ、ぴ」は神奈川・東京、「ちー、らっ、せ」は静岡・東京で、「いっせ、の、せ」は何と東京から遠く離れた福井で採集されているという。

このながれのなかに
「ちっちのち」とか
「せっせのせ」
「ちーらっせ」
などの掛け声があったようだ。

つまりは
・ジャンケンの時
・指遊びの時
・ベーゴマの時
・メンコの時
など、あそびのタイミングを合わせる際の掛け声
今で言う
「いっせーのーで!!」
という感じで
「ちっちのち」がベーゴマの掛け声としてメジャーになったに過ぎないようだ。

「ちっちのち」普及理由





「ちっちのち」が
全国至る所で広がったのは
3つの要因があると考える。

①ベーゴマの最盛期が関東であり、日三鋳造所が唯一続いていた製造元だったこともあり、説明書や文献や漫画こち亀なども掛け声が「ちっちのち」になっているため

②世田谷羽根木からはじまった
日本版プレーパーク活動で
プレーパーク=ベーゴマが広がったこと
プレーパーク関係からの波及はここだと思われる。

①遊びの学校および
NB(日本ベーゴマクラブ)の
先日亡くなられた菅原道彦先生、
通称「すがちょ」の影響

このなかでも
源流は①の日三鋳造の影響が固い


新しい掛け声を作ろう

ともすれば
掛け声はオリジナルがあっていい。

いちじそんなことを考えて
子どもたちと掛け声を考えた

そしたら
「ゴーシュート!」
になった。

…なんかやだ

そこで
半分強制的にリードし
「あのこどこのこ、かわいいんじゃないか、おなまえなんて、いうのかな、あもん、あもん、あ、もんちっチ!!」
という長い掛け声が誕生した。
足踏みしながら力をため
最後の「チ!」で床になげいれる。


モンチッチはこどもはしらんやろが
この掛け声が一世風靡する日はちかい!

しらんけど


拝啓スガチョ

スガチョこと菅原先生は
ベーゴマの話がしたくて平成20年のころに2回ほど電話でお話した。
結局、お会いすること、床を囲むことは叶わなかった。
まだまだ教えて頂きたいことがあっただけに、すぐに会いに行かなかった自分が悔やまれる。スガチョは様々なところで
ベーゴマを指導していたので、
沖縄のバカボンもはじめは
スガチョの影響をうけて
加工が「ハリケツ」だった。一度でいいから
床をかこみたかった。
会いたい人には会える時に会いに行こう。
ご冥福をお祈りします。

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