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徳島バイゴマ探訪記③[ベーゴマ考12]



社長が電話してくれたのは
徳島の鋳物屋さんの重鎮とも言える人だった。

その電話をきったあと、
驚きの言葉が飛び出した。
『〇〇さんとこで昔鋳造してたらしいわ』

ということで、徳島市から外れて直行
T鉄工所(社長81歳)
・先代が大阪の福島で主に郵便ポストをつくる鋳物工場をやっていた。働いていた人は徳島の人が多かった
・空襲で福島の工場がやけてしまい、地元であった徳島に帰ってきた。その時働いてた人で独立した人もいる
・大阪でバイをつくっていて
・徳島では40年から50年くらい前までつくってた。
・形はこんな形だがもっと大きい
・「叺(カマス)」といって、ムシロの中にバイをいれて、二つに折り畳みはじを止めたもので輸送した。
・初めは木型でつくった。(一つだけ型をつくり繰り返しす)量産するようになったら金型をつくる。(金坂がもっているものは関西の金型で間違いない)


関西六角バイ

最後に、初めに電話で大栄鋳造のことを教えていただいたK合金さんにお礼を兼ねて挨拶に行った

K合金(社長72歳)
・大栄鋳造は先代が、そこの社長と共同経営であった。
・幼稚園の時にまわしてたが、周りの大きな子どもにすぐに取られてしまい、なくなったらお父様の会社に探しに行った。よく見るとその辺に輸送から漏れたものが転がっていたので、それをひろってまたやってた
・りんご箱に帆布でやっていた
・バイは右巻きで真上からカチ当てた
・一個販売価格は5円だった
・オモリは飴(キャラメルみたいなもん)でくっつけてた。

ここでは、鋳物の基本的なシステムを見学させてもらった

木型師が専門でいて、木の型をつくる
これは遊園地のパンダのハンドル
炉で溶かして
これですくって金型にいれる
型枠は上と下になってて、真ん中に金型がはいる
これは関西の金型に決定。今徳島ではこれを組み込んだ板状のプレートタイプが一般的で、関西のこれはめんどいとおっしゃっていた。

ここでの話は大変大きな収穫となった。
つまり、大阪福島で鋳物工場をやっていて、そのサブでバイを作っていた、
戦後大阪が空襲で焼けたため、地元に帰り、大阪でバイを作っていた人たちが徳島で作るようになったのだ。
その為、床は角床、ゴザという関西のタイプで
呼び名もバイという。
戦前にあった六角というものは
関西バイがはいっていたものか、
関西バイの型をこちらに持ってきて鋳造したものであろう。

そのため、
徳島近隣で作っていたところは少なくとも3件
もっとあったかもしれない
・大栄鋳造
・T鉄工
・二軒屋の鋳造所

ルーツは関西にあったから
バイと呼ぶ

しかし、なんでまた男巻なんやろか
関西の十字巻は忘れてしまわれたのかな
疑問が一つとければ、新しい疑問が一つ生まれます。
しかしながら徳島の人はいい人
1人探偵ナイトスクープひとまず終了


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