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漢字で感じる人間学69(軆・身の豊かさとしてのからだ)

「からだ」は普通、「体」もしくは「身」と「体」で「身体」と書きますが、他にも「體」(体の旧字体)とか、「躰」とか「腔」という様にも書きます。

今回は「軆」でみていきます。「身が豊か」とはどういうことか?

以前にも書きましたが、「身」(み)は「実」であったり、「美」であったり、「水」であったりと、潤いのある生命力が凝縮されたからだの状態のことです。「中身」とも言いますが、中にギュッと生命力が詰まっている。マ行「まみむめも」とゆっくり発音してみると、潤いが含まれているのが分かりますか? カ行「かきくけこ」との違いを感じてみてください。

「人の身になる」という言葉があります。相手の立場に立ってその心情や心境を慮るという意味に使われますが、これも水に通じるものです。水の持つ流動性、柔軟性、変容性。「上善は水の如し」とか「水は方円の器に従う」などとも言われます。

もともと人間は半分以上が水でできています。その柔軟性があるからこそ、相手の身になることができる。心身が固体として、強張った状態だとなかなか相手の身になることができません。これが頑固(かたくなでかたい)とか強情(つよすぎる心情)だったりもします。

「身に沁みる」とか「骨身に沁みる」というと、身体の中に水分が浸透してくる感じがあります。

「肩身が狭い」も「身」が入った言葉で、立場が変わると居心地が悪くなり、キュッと肩のあたりが狭くなったりします。

「現身」(うつしみ)という言葉もあります。「いま、この世界に現れている身」ということですが、量子論的に身体を観ると宇宙中に遍在する波の重ね合わせでこの自分が存在しているとも言えます。ホログラムの様にこの身体がこの2023年の地球に映し出されている、そんな感じでしょうか。

さて、この「身」の性質が、人間の未来を映し出す希望になると思います。

どういうことか?(続きます)

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