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漢字で感じる人間学63(神と仏・和で共存できる日本)

日本では、新年に神社で初詣、お盆にはお墓にお参り、年末にはクリスマスでキリストの誕生を祝うことが普通に行われていて、そこに違和感を抱く人は殆どいないと思います。

あらゆるものに神性を見出す八百万(やおよろず)がそもそもの日本の神観。「和を以て貴しとなす」と聖徳太子の十七条憲法にもあります。色んな神観、宗教観が共存出来て違和感がない。これは世界の中でも珍しい、日本の大きな特質ではないかと思います。

和は「平和」の和、「調和」の和でもあります。何も起こらないのが平和ではなくて、それぞれがそれぞれの存在のまま尊重されるのが平和です。

オーケストラの個々の楽器もそうですが、何も演奏しないことや、当たり障りのない演奏しかしないことが平和なのではなく、それぞれの個としての楽器が最大限のパフォーマンスを発揮しつつも、オーケストラ全体としても素晴らしい演奏となる。単なる個の足し算ではなく、全体とつながることで個としての働きも最大限に引き出される。それが「和」というものだと思います。

人間の身体もそれだけでみれば「個」にみえますが、骨や筋肉、内臓、血管、神経といった器官が素晴らしい連係プレーをすることによって、身体全体としての働きをなしています。また、各々の器官も細かくみてみると、無数の細胞が集まって構成されていて、その細胞同士が素晴らしい連携プレーをしています。そして、細胞一つとってみても細胞の中にある小器官がしっかり連携することで活き活きと活動することができます。

個が全体で全体が個となる。全体のために個を殺すのでもなく、全体を無視して個を主張するのでもない。そのかけがえのない個があることによって全体が活き、そしてまた全体の存在がそれぞれの個を活かしていく。この「個と全体で循環するサイクル」の様なものが上手く回っている状態。これが「和」というものだと思います。和が調うのが「調和」。争いを経ずしても自ずと問題が平らかに解決されていくのが「平和」です。

日本は色んなものを和することができます。神観、宗教観という世界でみると大きな争いのきっかけになりかねないものも違和感なく共存できる。世界のあり方を考えるにあたって、日本のあり方は大きなヒントになるのではないかと思います。

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