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漢字で感じる人間学70(軆・人類の明るい未来としての「からだ」)

前回の続き。身が豊かで「軆」(からだ)です。

近年のAIの進歩、発展は目覚ましいものがあり、人間がやっている知的労働のかなりの部分がAIに置き換わるとも言われています。ちょっと寂しいことではありますが、時代の流れには逆らえません。かつては「国際電話の交換手」という仕事がありました。キャビンアテンダントと並んで英語ペラペラの花形の職業と言われていた時代があったそうですが、今やネットですぐに動画でつながる時代となり、そういった職業も消えてしまっています。

単純に記憶に頼る仕事では、今や大量のクラウドサーバーにデータが保存できる時代となり、もうAIにかないません。

では、心の方面の仕事はどうかというと、なんとAIを相手にカウンセリングもできて、今やそういったアプリもダウンロードできます。大量のデータを適切に活用することができれば、相手の悩みの傾向に合わせてアドバイスすることも可能でしょう。適切な回答を返すという意味では、人間個人のバイアスがかからない分、もっと優秀かもしれません。

では、AIが進歩していったその先に、最後に残るものは何か?

それは、身体を使うものだと思います。例えば、「クロールと平泳ぎと背泳ぎとバタフライができるロボットを作る」とか「急なコブ斜面を転ばずにスキーで滑れるロボットを作る」とか、陸上競技で「100m走と幅跳びと棒高跳びと槍とハンマーを投げられるロボットを作る」って相当難しいことだと思います。おそらくこれまでの考えの延長ではできないことではないでしょうか。

工業用ロボットの設計をしていたという方とお話をしたことがありますが、比較的単純なつくりの関節が2つとか3つくらいのロボットでも、それを動かすのは大変なのだそうです。想定通りに動いているときはよいが、その想定から外れた事態が生じたときにも安定した状態に戻すとか、そういったことまで考えなければならないため結構骨が折れるとのことでした。

でも人間は、目の前にあるコーヒーカップを何も計算せずに取ることができます。どの筋肉に力をどれだけ入れるのかとか、どの関節をどれだけ動かすのかとかいちいち考えません。ものを取るとか投げるとか、さらにそれを歩きながらとか走りながらでも行うことができます。この運動の多様性! これも一見当たり前の様に思えますが、ものすごいことです。

身が豊かで「軆」(からだ)とは、このあたりから来ているのではないでしょうか。

過去のデータを参照する頭脳活動はAIに任せておいて、人間は与えられた身体を豊かに使って、スポーツや芸術活動など人間にしかできないことを存分に楽しめばよいのではないでしょうか。アートも専門家だけのものではなく、その本質の自然の理にかなった「美」というものがもっと大事になってくるでしょう。AIは確かに目覚ましい進歩を遂げていますが、それに人間の領分が脅かされると心配するだけでなく、もっと明るい未来も見えると思います。

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