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漢字で感じる人間学62(神と仏・神をことばからみる)

「神仏」という言葉にあるように、「神」と「仏」は同じ人を超えた超越的な存在を現すものとして使われますが、では「神」と「仏」はどう違うのか? 「神の様な人」と「仏の様な人」ではニュアンスが違いますね。言葉の方からこの違いをみていきたいと思います。

前回お伝えしましたが、「神」のもとの字は右側の「申」で、これが稲妻が左右に振れながら走る様子が字源になっています。「神が鳴る」のが「雷(かみなり)」。稲妻が一瞬にして天空に走り、少し時間が経ってからものすごい雷鳴が鳴り響く。たまに近くに落ちて、木が焼けたり死ぬ人もいる。古代の人にとってみれば、まさにこれこそ神のなせる業と思ったと思います。

そして自分を超えた超越的存在を敬う気持ちも生まれました。神を大切にすることは、周りの自然環境やそこで生息する動植物を大切にすることでもありました。今では雷が電気であると分かっていて、その電気を取り出す仕組みも分かり、日常生活や仕事で普通に使えるようになっている反面、当初人間が持っていた神への畏敬の念は薄れて、自然環境への配慮も薄くなっている様に思われます。

この様に「神」は自然がモチーフになっています。天候や気候、大地や海は人間が生きることと直結していました。ちょっとした天候の乱れで海が荒れたり、日照りが続いたりして農作物の実りが悪かったりすることはそのまま生きることに関わってきます。

そして、生活する自然環境がどの様であったかによって、生じてくる「神観」も異なることになります。「一神教」と呼ばれる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は砂漠の地域で生まれましたが、その砂漠が原風景となっています。

あたり一面砂漠が広がり、夜は地平線から上は一面の星空。雨もなかなか降らずに、日中の寒暖差も激しく、生きていくためにとても厳しい環境でした。必然的にそこで生まれる「神」はちょっと意識を向けただけで簡単に人が死に、部族が滅んでしまう様な「恐さ」が強調される存在となります。

一方、同じヨーロッパのキリスト教でも、比較的暮らしがしやすい地中海地方のイタリア、フランス、スペインあたりでは、主にカトリックが信仰されていますが、カトリックは、イエスの母であるマリアを聖なる存在と認めるとか、解釈もゆるくなってきます。北方の生きていくのに厳しい地域では主にプロテスタントでこちらは厳格に教えを守ろうとしています。

では、日本はどうかというと、日本という国の環境が、四方を海に囲まれて、また国土のかなりの部分が山林です。火山帯なので、地震も多いですが、温泉もあったりして豊かな土地柄です。山の幸、海の幸に恵まれて四季の変化もはっきりしているとても自然の風景の豊かなところです。この自然の豊かさが「八百万」(やおよろず)。あらゆるものに神を見出すという日本の神道の神観につながったのだと思います。

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