見出し画像

漢字で感じる人間学72(他・他者とは?)

前回、「もともと自分が見ているものはすべて私の反応」ということをお伝えしましたが、それでも、自分とは明確に異なる(様に感じられる)他者が周りにいる様に感じられます。これをもう少しみていきます。

はじめに漢字「他」の字源から。

「他」の「也」ですが、頭の大きな蛇のかたちです。人と蛇で「他」。旧約聖書でも神から生み出されたアダムとイブに知恵の実を食べさせて知恵を付けさせ、楽園から追放されるきっかけを作ったのも蛇でした。手足がなくて、狭いところ、高いところどんなところにも忍び寄るように入っていくとか、圧倒的な生命力とか、人間とは異質のものとして際だっているのが蛇という存在です。

字源・他(金文)

さて、「もともと見ているものはすべて私」のはずなのに、なぜ自と他が分かれているように感じられるのか? それは、「生命体としての個体を守りたいため」だと考えられます。自然界は食べたり、食べられたりの関係で成り立っています。食物連鎖の頂点にいる生物も、食べ物の狩りに失敗して餓死する個体も相当するいるそうで、そういう意味では平等な世界です。野生の生物は、個としての自分を守らないと、簡単に食べられてしまうという現実があるので、周りの環境に偽装したり、隠れたり、毒を持ったりして身を守っています。

私たち人類も、長らく外敵に襲われるかもしれないという環境の中で暮らしてきました。いつ野生動物に襲われるか分からない。また、気候の変動などで食料を恒常的に確保できないときもあったでしょう。その中で生き延びるためには、皮膚で囲まれた部分を「自」、それ以外の部分を「他」と決めて、自分の生存可能性が最大限に高まるように行動する必要があります。「すまないが、他のことなど構ってられない」という状況であれば、まず自分、それから自分に近しい人たちの生存確保に動く。そういう生物としての本能があります。また、これがあったために人類がここまで生き残ってこれたことも間違いありません。

これが、古くから人類の記憶の中に残っている。みんな自分という存在を護りたい。私もそうだし、誰しもそうです。

人間同士の世界でも、他の存在が自分を攻撃してくる、私(たち)という存在やその世界を壊そうとしていると感じられれば、当然身を守るし、あるいは相手を威嚇したり、相手が攻撃してくれば反撃したりという行動に出てしまいます。

どうすればよいか? この生命としての本能が発動する状況をよく見据える必要があると思います。危機が迫っている状況であればなおのこと、冷静に状況を観ていく必要があります。自分が守ろうとしているものは何なのか?

もともとは宇宙はビッグバンから始まりました。生命の起源も、人類の祖先ももとをたどれば一つです。

大事なのは、この「自と他」という二元の世界と、「すべて私」という一元の世界を自由に行ったり来たりして、どちらの観点でも自由に観ることができることなのだと思います。

これが「観自在」、観音様の観る目ということになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?