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拉麺ポテチ都知事19「戦争で独創せよ」

東京五輪の開閉会式に携わるアーティスト諸氏が発表となった。

5年前に「東京五輪は渋谷系推しになる」と言っていたのだが、当時の反応は「へえ」くらいなものだった。今こんなことは自明すぎて聴く耳も持たれないだろう。当時から椎名林檎氏が渋谷系を東京の音楽として推していたのは明らかで、私個人はワクワクし、自分が関わりたいとさえ思っていた。

だがそれは1964年の東京五輪の様に、関わるアーティストたちが無私の精神と創造力を発揮すると思っていたからだ。当時の私は牧歌的でお人好しだったのである。

正直なところ、今はしらけている。椎名氏が指揮を執ることは叶わなかったにも拘わらず、結局ふたを開けてみれば渋谷系推し。これには何とも言えない気分であった。

小山田氏の炎上については仕方なしという感じである。私自身もいじめられる側だったが故に、気分を害する彼の行いを擁護するつもりはない。過去を掘り返して批判することは嫌いだが、彼自身が自分の過去を省みていなかったのは、五輪(パラリンピックというべきか)の仕事を引き受けたことに明らかだろう。

自分の行いを反省しているのだとしたら、普通の神経なら五輪の理念に照らし合わせて辞退するに決まっている。よって彼の謝罪文は空文と受け取らざるを得ない。オファーする側も思慮がなさすぎる。大変残念だが、だからといって彼のこれまでの仕事がキャンセルされるべきではない、ということも付け加えたい。これから彼がどう歩むかは、彼自身に委ねられている。

さて、こういった倫理的、人格的な論を当然として踏まえて書くが、この五輪の開閉会式に純粋な気持ちで関わる人々を私は応援したい。あとは出来上がった作品を見て評価するだけではないだろうか。それが良ければ良いし、良くなければ良くない、というそれだけのことだ。

戦後に戦争責任を問われ、キャンセルされた藤田嗣治は、日本を去る1949年にこう言い残した。“絵かきは絵に誠実に、絵だけを描いてほしい。仲間ゲンカをしないで下さい。一日も早く日本の画壇が、意識的にも、経済的にも国際水準に達することをいのる”

藤田の戦争画は、日本の戦争を描きつつ、自身のキャリアとしても次のレベルに繋げていたという点で創造的であったことは以前書いたのでそちらを観て頂きたい。

また、ナチスのプロパガンダに関わったレニ・リーフェンシュタールについて石岡瑛子も“レニの創造力はどのように危険なのか?もしこの疑問を解き明かすならば、レニを葬るのではなく事実を冷静に検証してみる姿勢が問われている。レニの二の舞を、私たちが犯してはならない”と書いた。

彼らのクリエイティヴィティの発露は間違っていたのだろうか。現在の尺度で明らかに悪とされる、例えば、戦争のなかで美を輝かせることは間違いなのだろうか。それは現代の我々に投げかけられた彼からの遠投だと個人的に思っている。

私が考えるにレオナール・フジタの戦争画は破滅のなかにあった創造だった。戦争中にあってクリエイティヴで居続けること、それは「独創的である」という意味で全体主義に反する。国家的な破壊への同調を求められる場面でユニークであってはいけないのだ。

だから藤田が非常に高い創造性で描いた作品はプロパガンダを美で超越したとも考えられ、その姿勢に私は胸を射たれた(もちろんこの解釈が絶対だとは思わない)。それを以て、東京五輪の開閉会式を考えたいのである。

明らかに都や国、IOCの大バッハの方針は納得がいかない。だがそこで美をスパークさせるのは、抵抗でもあると私は思う。だから私は彼らを応援し、それと同時にお手並みを拝見させていただくつもりだ。

ただのプロパガンダで終わったらそれまでだ。しかし、そこで発揮されたものが何であれ心を揺さぶるものだったら、それを私は評価したい。関わったから断罪するのではなく「絵かきは絵に誠実に、絵だけを描いてほしい」という藤田の言葉を握り、開閉会式を見届けたいと思う。

そんなことを考えながら、先日購入した『藤田嗣治 戦時下に書く』を読んでいる。この書は彼が書いた戦前戦後のテキストをまとめたものだ。最初の記事は「着物」。なんと彼は和服の特徴を「紐」を唯一無二のものとして書いている。

和服の特徴は「平面であること」と私は学んだのだが、彼はイッセイミヤケの「一枚の布」に対するカウンターみたいなコンセプトで、つくづく私の既成概念を壊してくれる。まだまだ私は何にも知らないな、と思うばかりだ。

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