Naoya Shirata
大切なこと、シンプルに。
ぼくがアバターコースをやっていいなぁと思うのは、 「これが世界平和に直結している」と思ってやれていることです。 自分が正しいことをやれている気がするんです。 ぼくはずっと、楽天にいたときも成績がよかったですし、先生をしているときも、未熟ながら、そのときの一番良い形を創ってきたつもりですが、心のどこかで「自分を世の中で一番役に立つところにつけたい」という気持ちがありました。 一つは音楽です。大前提として、好きなのと、幸運にも声や音感に恵まれ、経験もあったので、これはとても良
世界平和、というもののために自分のリソースを使いたい。 これは、こんなに明確になっていたわけじゃないし、まして人に言えたわけじゃないけど、世界平和というもののために自分のリソースを使いたい。 小さいときから、「なんでこれをやるんだろう?」みたいなことが苦手だった。目的のわからないもの、意味のないもの、そういうものが嫌いだった。 仕事もそうだった。「この仕事をやって世の中がどうよくなってるんだろう?」そう思うものは、できなかった。 だから、少しでも手応えのあるもの、より
教育のことが道(タオ)だと友人にも言われたことがあり、それをずっと考えている。人生、20代のほとんどを教育に捧げてきた。それは頼まれたわけでも、使命感があったわけでもなく、好きだったから。そして、向いてもいたと思う。いくらやっても探究し足りないテーマだった。 そして2023年、状態はかなり複雑になってきてる気がする。学校がど、とか先生がどう、とかいう前に、社会全体の価値観が変わろうとしている。そして子どもたちは誰についていっていいかわからず、示せる大人ももちろんいないという
大事なものを守るためには、優しさだけじゃなくて強さも持ち合わせないといけない。それは自分のスタイルについてもそう。「うんうん」と聞きすぎると、侵入されて、自分がおかしくなっていく。だから、うるせぇ、と思うことも大事。スタイルは否定しちゃいけないけど、不法侵入(アドバイスという名の)してくるやつにはだまれ、ということも大事。あたしゃあたしの道を行くんだよ。という。だから、それが確立されるまでは、ビニールハウスで自分を育てるのも大事。じゃないとカラスやらすずめやらにぴーちくパーチ
音楽は楽しい。何をしてても楽しい。笑 中学生の時、アコギを買って、高校1年のとき、路上に出た。 誰にも制限されない環境、自分を思い切り出しても、だれにも責められない。怒られない。笑 これが俺にとって最高の環境だった。 そして、お金ももらえる。それは今も続いている。思い切り自分を出させてもらって、そしてお金をもらう。 だから、俺にとって歌うことは、自分を出すことだ。それでお金をもらってる。歌唱を磨くために歌ってるわけでもなく、技術を競ってるわけでもなく、「俺は自分を出
はじめは、学校の先生になりたいと思っていた。その理由は人格形成の時期に関わる大人の存在は大きいと思っていたから。 先生になる前に自分が社会のことを知らないと(成果を出さないと)子どもたちに伝えられることがないな、と思い、IT企業に就職した。 でもやってみたら、成果を出すことより、幸せに生きれる方が重要じゃねーか、と気づいた。 先生になってからは、ワクワクすることを伝えたいと思った。でもその実は子どもたちの方がワクワクすることをたくさん持っている、ということだった。それを
僕にとってのアバターコースは、精神の修行の場みたいなもの。こんなん、現代にあったらいいのになーと思ってたものが、実際あった!wというものな感じ。 なんか、自分の根幹にあるものを鍛えられてる感じとか、やるほどしなやかになっていく感じとか、強くなっていく感じとか、ほんとに好き。 アバターと出会ったのは2010年で、そのときはなんかきな臭いなぁと思ってたんだけど、知れば知るほど、理論はちゃんとしてるし、そりゃそうだよなぁというところが多かった。実際にワークをやってみてもよくわから
牛も人、っていうとちょうヤバいこと言ってるみたいなんだけど、 牛も人も、生きてるっていう意味では同じなんだな、と思った。 生きてる意味、とか期待されてる、とかいろいろあるけど、生まれて、生きて、死ぬ、という意味では、牛も人も花も鳥も一緒なんだ。 そう思ったら、俺期待されてるとか、他人の期待に応えるとか、マジでアホらしくなるよな。 牛だしw 自由に生きろ〜
俺は、思ってること言おう、というのを意識せず割とどこでも言う。 就活生にも、先生にも、歌を歌う人にも言う。 色んな考え方はあるけれど、俺はそれを大事にしてるし、何よりそれが好きだ。 さっき、就活生の子と話をしていて、面接練習をしたのだけど、固くなると、一気に用意していたテンプレを語り始める。つまらない。ああ、つまらない。だんだん頭に入ってこなくなる。 俺は、臨場感というものが好きだ。校長先生の話は嫌いだ。なぜか。つまらないからだ。用意されたものをこなそう、という態度は
コメントをいただいたので、これについて書きたいと思います。 思っていることを言う、というのができないときって、大抵その場にいる人たちを信頼できないところからきてたりします。 もうちょっと言うと、「この場ではこういう自分でいよう」というのがあって、でもそれと自分が本当に思ってることが乖離してくるんですよね。 人間って常に変化していくので当たり前なんですが、こういうことが起こると、「思ってても言えないなぁ」ということが出てきます。 それは、これ言ったら怒るかなぁ、みたいな
自分の本当に思ってることを言わないと、あまりうまくいかない。 ちょっとズレがあったり、嘘があったりすると、それが相手からは真実に見えてしまうので空回りが生まれる。 でも、大抵の人は全て本当に思ってることを発信して生きれるわけじゃないから、そこに軋轢が生まれる。 そういう意味では、本当のことを言わしてくれる相手、というのはとても大事で、きっとそういう人とは友達、になれるのだと思う。
コメントをいただいたのでそのことについて書こうと思います、反応がある限りいろいろ続けていこうと思います! 思ったことを言う、ということに関してぼくが思うのは一番は歌に関してです。 ていうか、Facebookに書いた文章が役立ちそうなので今日はそれを載せます。笑 >>>>> 相変わらずいろんなことしてるんだけども 最近確信度が高いことの一つに 提供価値っていうのは "どれだけ自分をありのままに出しているか" これに尽きるということ 俺ら自身こそが価値なんだ。
いぇーい。 最近先生系のnoteを読んでくれてる人がいるので、それを書こうと思います。 何かこういうの書いてくれ、というのがあればリクエストぜひしてください。 今日は、4月から使える子どもと出会ってから信頼関係を得るまでの方法。 先生は、リーダーです。組織のリーダーとして、子どもたちの自立的、協力的な態度を育てていくのが目的です。 なので、先生として信頼されることは絶対条件の一つです。組織のリーダーも同じことが言えます。 今日は俺が思う(そして有効だった)出会ってか
思ってることを言う、っていうのが、コミュニケーション、関係構築、自己実現において本当に重要なことだと思う。 だから、思ってることを言えない相手やコミュニティからは極力離れた方がいい。笑 力が弱まるから。 でもそうも言ってられない状況では、「思ってること言ってもいいんだな。」っていう感覚を増やしていく必要がある。 それをどうやってやるかは方法色々あるんだけど、 とにかく心と言葉を一致させる。 この不一致が続くと、自分が何を感じてるかわからなくなってくる。そうすると人
質問:どうしたら子どもたちの信頼を得られますか? いただいた質問に答えます。(みなさんもよかったらどうぞ→ https://peing.net/ja/sensei_1101 子どもたちからの信頼を得るには、言行一致。これが鉄則です。 つまり、言ってることとやってることが一致してるってことです。これがないと子どもたちの関係は作れません。 ここで言いたいのは、「言ったことはやりましょう」ではなく、「できないこと、言うのやめましょう」ということです。完璧である必要ないので
どんなことでも、人の感性に触れるというのは豊かなことだ 写真、絵、声、何かの作品 ただ想いを発してるのでも 情報、以上の何かがあるとき、それはとても豊かな気がする そういうものってお金じゃ買えない。そしてなにものにも替えがたいほどpreciousなものだ そこにしかないもので、そのひとにしかないもの そういうものが、俺は好きだ♪