見出し画像

変わりゆく毎日に

「おはよう」とこの家で何回交わしたのだろう。住み始めてから約3ヶ月が経とうとしている今日この頃。単純計算で90回、お互いがいないタイミングも踏まえると少なくとも70回以上は余裕で挨拶している。

たまにとんでもなく怖くなる。この居心地のいい空間が、あの時楽しかったねと思い出の額縁に飾られてしまうことが。懐かしいねって美咲ちゃんと笑い合っている映像が。


3ヶ月も経つといろんな変化が起きる。最初続けていた、ストレッチしながらの会話もいつからか椅子に座り込んで話すようになったし、週1で休日の朝にするお掃除もサボるようになって夜急にお掃除大会が始まるようになったし、お花だってたまに枯らしたまま2日くらい放置していることもある。

でも何よりの変化は、美咲ちゃんが朝走るようになったことだ。おはようという発声が起きてすぐではなくて、しかもそれがベッドに彼女がいるからというわけでもなくて、ただいまと帰ってきた後になることがあるのだ。寒くなってきた今日この頃でも、目覚めて支度をして近くの公園を走りに行く。本当にすごいなあと思いながら、私は眠い目を擦っている。
朝走るのってすごく気持ちいいんだよってすごくキラキラした目で語る彼女を見てさらにすごいなと思う。これいいな、とかこれ好きだな、というものにいつも真っ直ぐでちゃんとやっちゃうところ、それが彼女の素敵なところのひとつだなあと。


昨日高尾山を美咲ちゃんともう1人ありさちゃんと登った。その時、やりたいことをちゃんとやれているね、という会話を聞いて、私ってどうなんだろうと思った。もちろんやりたいことをやっていることもあるけど、本当に全部丸ごと小さいやりたいも大きいやりたいもちゃんとやれているのだろうか。というか、そもそもやりたいことを忘れていっているのではないか。日々に忙殺されてあの時思いついたアイディアたちもいつの間にか忘れ去っているかもしれない。
そんな私は私が好きじゃない。私は私が好きでいられる状態で生きていたいと思っていたじゃん!と思って、改めてやりたいと思ったことは丁寧にやっていこうと思った。

美咲ちゃんと言っていた、クリスマスの予定も、日常をチェキで撮ろうねって話も、年末年始合宿っぽいこと家でやろうねって話も、ふるさと納税一緒に何買うか決めようねって話だって、全部1週間くらい置いてけぼりにしていた。だから、帰りの電車でちゃんと日程を決めた。必要なものはAmazonの購入ボタンを押した(正確には押してもらった)。
だから今はワクワクが止まらない。自分の素直な気持ちに耳を澄ませて、ちゃんとそれをやっていくこと。単純だけど意外と難しい。

どうしても過去に対して分析して特性を洗い出すみたいなことが大好きだから、何度も今に焦点を当て直して、未来を描いて、を繰り返し立ち返らないといけないなと思う。忘れない、わすれない、ワスレナイ。


たまにとんでもなく愛おしくなる。いつかこの日々たちが私の頭の中で、その辺の映画よりもエモく映像化されることが。こういうことを楽しんでいたんだよと未来の誰かに話すことが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?