Napo

普段思うことを徒然と。心が温かくなる文章が好きです✏️

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最近の記事

ショートケーキの苺

ショートケーキを食べる時、必ず思い出す。「ショートケーキの苺を先に食べる派?最後に残す派?」という論争。いや、私だけなのか?論争はそもそも存在しないのか?わからないけど。私は先に食べる訳でもなく、最後に残すでもなく、三角形の先の方から食べて苺のゾーンまできたらそれを食べる。そこまで特別扱いしていない。 ただ、好きなものは先に食べる派。お腹が空いていて、味わうにはベストだと思っているし、もしお腹いっぱいになった時、楽しみにしていたそれを結局食べられないことになるのが嫌だからだ

    • 憂鬱だけど幸せ

      映画みたいなシーンって日々に散りばめられているよなと思う。 入道雲の輪郭。真っ青な空から浮き出てきて、輪郭だけ太陽の光を帯びていて、眺めていると吸い込まれそうになる。蝉の鳴き声。けたたましいそれが、ふとした瞬間に消えてぽつんと世界にひとりになる。雨上がりの土の匂い。干からびたところに潤いを与えられた喜びを感じる。逃げ水。小さい頃不思議でたまらなくてずっと追いかけていた夏の遊び相手。 こういうものたちを感じる時は決まって、口角が上がると同時に泣きそうになる。なんという感情な

      • すきなとこ

        緑が濃くなり、風が生ぬるくなって、足元がスニーカーからサンダルに変わって、時間の流れをゆったりとひとりで感じる。エネルギーが湧いてきてあれやりたいなあこうしたいなあという願望もたくさん生まれてくる。そんな機微を味わえる休日の過ごし方ができるようになったのは私の中のだいじなものの価値観がより明確になってきたからだなと思う。 この間久しぶりに逗子にある私の第二の家に帰った。(正確には友だちのお家だし、久しぶりと言っても数ヶ月くらいの話)女子3人で話し込んでいた時にふと出てきた問

        • モヤモヤと

          無性に不安になって、何かに駆り立てられている、そんな時がある。モヤモヤとしたものがずっと付き纏って、意識してないと、それに自分が溺れていってしまう。何が原因かはっきりさせておかないと気が済まないから、一呼吸おいて、私は何にそんなにモヤモヤしている?と、考えを巡らす。 雑音を消して、神経を研ぎ澄ます。 さっきのあの人が放ったあの一言?それとも、やろうと思って忘れておいてきた洗濯物のこと?それか、さっききた連絡の真意に対して?自分の放った言葉の配慮の足りなさに?読みかけの本の

        ショートケーキの苺

          出会いの最大瞬間風速

          「発する言葉ってその人を表すと思うんです。」 そう発した瞬間に風が吹いた。自己紹介の一言目でこれは、すごく、うん、好きだ。 物心がついた時にはすでに寝る前の母の読み聞かせが当たり前で、学校の図書館でたくさんの本を漁って誰が読んだ後なんだろうと眺めるのがちょっとした楽しみだった。休みの日に母が市の図書館に行くのについていって、厳選した5冊を選ぶのがワクワクした時間だった。 大学生になってそこまで本に触れなくなったけど、社会人2年目か3年目あたりで、改めて本を読むことがどれだ

          出会いの最大瞬間風速

          ちひろさんとソリチュード

          孤独には2種類あるって何かに書いてあった。ロンリネスとソリチュード。寂しさを伴うのがロンリネスで、孤独を受け止めているのがソリチュード。 ”ちひろさん”はどこか哀愁漂う、自由奔放な人だった。道端で猫を見つけて白いズボンも気にせず四つん這いで追いかける。猫に微笑みかける横顔がとても少女みたいで可愛らしかった。お弁当屋さんで働いていて、街の人気者だった。ちひろさんっていろんな人から話しかけられて、ユーモアたっぷりに返答していた。子供たちと一緒に鉄棒で遊んで、悪戯をしたらしっかり

          ちひろさんとソリチュード

          マフラーとホットチョコレート

          目が覚めると怯んでしまう。この全身を凍らしてしまいそうな全然優しくない温度の世界に私は今から出ていって、身支度をして電車に揺られて平然とパソコンと向き合うのだ。考えられない。 顔を洗う水があったまるまでの時間、流れゆく水を目で追う。昔は冷たい水で洗うのもへっちゃらだったのに、こんな優しくない世界で働くのだから、朝は少しだけでも優しくさせてくれと思ってこうなった。古い家だから、便座を温める術もなく、濃いグレーのカバーがとんでもないひんやりから守ってくれることに感謝する。沸騰さ

          マフラーとホットチョコレート

          はたらくすべての人へ、おつかれさま

          学校という世界で友達との関係が全てだったあの時代の私は、理解を本当の意味でできていたのかなと、今さらながら疑問に思う。 毎日お仕事でたくさん考えて動いてたくさんの人に揉まれて、それでもそれを1ミリも感じさせない父に、子どもの成長を見守ることを選び、家の全ての家事をこなし子どもたちの面倒を見てくれて吐き出し口もあったのかわからない母に、私はそれを等身大で理解し敬意を示せていたのだろうか。いやできていなかった。そして今も尚わかっていないんだと思う。 社会人5年目になって、今年最

          はたらくすべての人へ、おつかれさま

          変わりゆく毎日に

          「おはよう」とこの家で何回交わしたのだろう。住み始めてから約3ヶ月が経とうとしている今日この頃。単純計算で90回、お互いがいないタイミングも踏まえると少なくとも70回以上は余裕で挨拶している。 たまにとんでもなく怖くなる。この居心地のいい空間が、あの時楽しかったねと思い出の額縁に飾られてしまうことが。懐かしいねって美咲ちゃんと笑い合っている映像が。 3ヶ月も経つといろんな変化が起きる。最初続けていた、ストレッチしながらの会話もいつからか椅子に座り込んで話すようになったし、

          変わりゆく毎日に

          26歳を終えるこの日に

          今日私は26歳を終える。365日26歳として生きて、ついに今日で卒業するのだ。 「幅」という漢字をテーマにしてこの1年生きてきた。人としての幅を大きくしたい、人生の振り子の舞台を変えたい、という誓いともとれる願いを込めて決めた。 この1年いろんなことがあったなあ。私の黄色い振り返りノートにたくさんの日々が詰まっている。たっくさん笑ったし、やるせない怒りもあったし、止まらない涙もあった。1人で抱え込むことも友達と分かち合うこともあって、もはや全部は覚えていないのだろうけど全

          26歳を終えるこの日に

          夏のしっぽを掴まえに

          毎年、今年こそ季節を存分に味わうんだと意気込むのだけど、いざその季節になると、違うことに夢中になっていて忘れることが多い。 小学生の時は、嫌でも毎日往復4キロメートルを歩いていたから、自然と季節が飛び込んできた。たんぽぽが道端に咲いていて、桜の木が満開なのをぽけっと見ながら歩いていたし、次の季節は入道雲があまりにも迫力がすごくて、セミがとんでもなくうるさかった。少し肌寒くなると、銀杏の実を踏んで進むしかなくて、その匂いに顔をしかめていた。雪は滅多に降らなかったけど、霜が降り

          夏のしっぽを掴まえに

          心のくせ

          シワひとつないシャツとか、一点の曇りもない鏡とかを見ると不思議な気持ちになる。人の心もここまでまっさらだったらどんなものなのか。 誰しも心の中にくせがあると思う。ここ最近、自分の中の心のくせについてよく考えている。 きっかけはひょんなことで、友達に都内で車の運転はできないなーと話していた時だ。もし事故ったらこんなこと言いそうだよねって言われたその言葉にすごく驚いた。たしかにその通りだと思ったのだ、たぶん事故を起こしたら、この人の前では私はきっとその言葉を発してしまう。ただ

          心のくせ

          ただいま

          その日伝えた「ただいま」は、もうここ何年分も詰まっていたように思う。 彼女がひょこっと洗面所から顔を出して「おかえり」と返してくれたとき、思わず泣きそうになったのは秘密だ。 この家の全てが好きだ。朝の日差しがリビング中を照らすところも、風がよく通るところも、天井がちょっと低くてなんだか秘密基地感があるところも、ドアのレトロ感も、夜に照らす間接照明も。全てが優しい空気を作ってくれて、私がここにいることを全力で肯定してくれている、そんな気持ちになる。 最初は築50年なんてあり

          ただいま

          差し込む光とともに

          1年前もここで泣いていた。 7月の終わりの西日は妙に寂しさを増させて、私は1人ベランダで立ち尽くしていた。 2021年の夏、社会人生活を3年と少し過ごした場所を離れて違う街にやってきた。 東京であることには変わりないし、職場からの距離はそんなに変わらない。それでも、その街を離れることは、初めての東京に戸惑ったりたくさんの刺激を楽しんだりした日々とも、近くに住む人たちにお散歩しようと気軽に誘うことも、お気に入りのカフェに週1で通うことも、当時お付き合いしていた人と家で会うこと

          差し込む光とともに

          私との上手な付き合い方

          "20代後半の女性" ハッとしたのは事実だ。同じ歳の人がこう表現されていた。あ、そうだ、私26歳になっていたんだった。そこで自分の歳をようやく認識した。 歳を重ねるということは、いろんな経験をしていろんな人に出会い、いろんな感情を抱え、たくさんの壁を越えるということになる。そう考えるとより人としての魅力は増すばかりで、誕生日は愛おしいし、なんなら毎日がうれしくなる。 それでも自分の中での年齢は、どこか19あたりくらいから覚えられなくなってきた。そして冒頭の一言にハッとさ

          私との上手な付き合い方

          東京の街に、ひとり。

          人間は本来孤独だ。 それでも、たくさんの人を愛して愛されて、支えられて支えている。そんな日々がより輪郭をはっきりさせた。そんな3月の半ば。浮き彫りになった当たり前のようで全然そんなことのない日常が愛おしくて尊くなった。 私は東京でひとりだ。固定概念が強くて、世間体とかを気にして生きないといけない日々が煩わしくて取り払いたくて自由になりたくて、大好きで慣れた地からここまで来たんだと、振り返ると思う。 今、私は自由だ。大好きな人たちと好きなだけ会って語って、やりたいことをや

          東京の街に、ひとり。