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マフラーとホットチョコレート

目が覚めると怯んでしまう。この全身を凍らしてしまいそうな全然優しくない温度の世界に私は今から出ていって、身支度をして電車に揺られて平然とパソコンと向き合うのだ。考えられない。


顔を洗う水があったまるまでの時間、流れゆく水を目で追う。昔は冷たい水で洗うのもへっちゃらだったのに、こんな優しくない世界で働くのだから、朝は少しだけでも優しくさせてくれと思ってこうなった。古い家だから、便座を温める術もなく、濃いグレーのカバーがとんでもないひんやりから守ってくれることに感謝する。沸騰させたお湯をマグカップに注いで冷やしておく。パジャマを脱ぐ瞬間は涙が出そう。肌と布の間にある眠っていた時の暖かな空気がペリッと持っていかれてしまうのだ。あれほど辛い瞬間があろうか。でも、白湯を飲む瞬間は至福だ。臓器があったまっていく感覚がして、ここでやっとおはようとなる気持ち。冬の朝は残酷だけど儚くて美しい。


青い空を仰いで、朝7時あたりにカフェに向かう。「おはようございます」と朝なんて大したことないよといった顔で店員さんが声をかけてくれる。朝からすごいなあと思いながら、いつもホットチョコレートを頼む。アートしてくれて上から少し粉がかかっている。おはようと今日もおつかれさまと頑張ってるねのメッセージが込められていると私は勝手に解釈している。甘くて温かい。

そのカフェは店内の色味が深くて落ち着く空間。店員さんとお客さんの距離が程よく近くて、本を読みに来たおひとりさまも、デート途中のカップルも、カフェ巡りに来たであろう友達同士も、ペットのお散歩途中の人も、お家に戻る途中のファミリーもいろんな人が入り混じる素敵な空間だ。

ただ、寒い。

置いてあるブランケットと自分のマフラーで全身を覆って私は私のやりたいことをする。

で、だ。ふと思い出したのだ。noteに書きかけの「マフラーとチョコレート」という題名のページを。もうこの朝にカフェは10回以上行っているし、思い出せるタイミングなんていつでもあったはずなのに急に思い出した。noteを久しぶりに開いてその題名を探してみたら、なんと2年前にその題名だけ残してあった。記憶の奥底深くにちょこんと置いてあった存在。その当時、頻繁にホットチョコレートは飲んでいなかっただろうし、今着けているマフラーとはまた違う色のマフラーだったと思う。それでも、なんだか田舎者の私にとってホットチョコレートを冬に飲むというそれ自体がとてつもなく特別なことに思えて、マフラーに顔を埋めながら時折ホットチョコレートを飲むというのがとんでもなく可愛く思えた(のではないかとない記憶を辿っている)。

謝りたい、2年前の私。残念だけど、そんな高尚なものではない。いまだにブラックコーヒーが飲めなくて、カフェインをあまりに朝早く入れると身体に負担だという知識をもらってしまったがゆえに、選択肢がそれになってしまうのだ。マフラーも可愛らしく顔を埋めるファッションの一つではなく、寒さからいかに己を守るかという勝負道具になっているのだ。ごめん。


生まれ変わったら、大きなマフラーに顔を埋めつつ、鼻を真っ赤にしつつフーフーしながらホットチョコレート飲んで満面の笑みで笑っている子になるね。ちょっと思い描いていた映像とは違うのだろうけど、まだまだもう少しこの二つにはお世話になろうと思う。

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