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すきなとこ


緑が濃くなり、風が生ぬるくなって、足元がスニーカーからサンダルに変わって、時間の流れをゆったりとひとりで感じる。エネルギーが湧いてきてあれやりたいなあこうしたいなあという願望もたくさん生まれてくる。そんな機微を味わえる休日の過ごし方ができるようになったのは私の中のだいじなものの価値観がより明確になってきたからだなと思う。

この間久しぶりに逗子にある私の第二の家に帰った。(正確には友だちのお家だし、久しぶりと言っても数ヶ月くらいの話)女子3人で話し込んでいた時にふと出てきた問いがとても好きだった。

生きることは魂を大きくすることだと常々思っているのだけど、魂を大きくする上で、問いの質はかなり大事だと思っている。友人と語り合う中で自分の在り方にヒントを得たり、新しい人と出会い共通点・相違点から発見があったり、喧騒から離れた自然の中でぽつんと立ち尽くすこと、絵画と向き合うこと、本を読み耽ることも問いをもらったりする。

「自分の好きなとこはどこか」


自分が好きなこと、ものはよく考える。だけど自分の好きなとこを考えたことはあまりなかった。昔と比べていいとこは言えるようになったと思う。自分の悪い部分ばかりだけでなくいい部分にも目を向けようと努力してきたからだ。

"いい"と"好き"には大きな違いがあって、前者はわりと他者との比較とか他者から言われたことが含まれている。後者はシンプルに自分が好きなところで、誰になんと言われようと好きなところの話なのだ。社会や周りの人と自分を完全に切り離すことって普段生活している中でなかなかに難しい。


友だちの好きなとこの話を聞きながら、ああ好きだなあとさらに友だちへの愛を強めて、同時に自分のことも考えていた。その時に言葉にしたのは「いわゆるマイナスと思われる感情(辛い、苦しい、悲しい)そのものを好きなこと」。すごい語弊があるから残すことを躊躇ったけど現在地を残しておきたいからあえて書いておく。

感情自体にプラスマイナスはないけれども分かりやすくするためそう表現した。私にとって全ての感情が等しく愛おしい。そして矛盾というものはより美しく感じる。例えば、周りからお祝いされて嬉しいはずなのにちょっとだけ真っ直ぐに受け取れない自分がいるとか、すごい魅力的な人でこのまま流れに身を任せていたらいいのだけどそれが怖い自分がいるとか。その生まれる感情って、その人の生きてきた道が見えてどんなメガネをかけて世界を見ているのかが少し垣間見えるから愛おしいのだ。生きることって全然単純じゃなくて、期限付きで、自分だけじゃどうこうできないことも多くて、だからこそおもしろい。

そんな感情の機微みたいなものが好きだから、よく感じ取ってしまってもちろん大変なことも多いのだけど、それでもああ美しいなと思える瞬間も多いから、特別だなと思う。


ちょっと前に冒険の書を読んで、これもちかしいもの感じる問いを受け取った。他人軸ではなく自分軸での問いは面白いし深められるがとっても難しい。この問いはより深めていきたい。


これから先、自分が好きだと胸を張って言えるような生き方をもっとできるといいなあ。今日までの自分の中から好きなとこを探るのもいいし、これからより好きになるための要素を考えてそう生きるのも楽しそう。

夏は始まったばかり。楽しみつつ、まだまだ冒険しよう。

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