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伝統と人。奈良団扇を作って

前回の記事で、「奈良まほろばソムリエ」を目指す旨を書いたが、1級の受験資格を得るためには主催が指定する複数の講座を受けなければならない。

いわゆる奈良をより深く知るためのフィールドワークだ。

記念すべき第一回目の講座は、
伝統工芸品である「奈良団扇」の制作体験。

団扇は古来、中国から魔除けのアイテムとして日本に伝わり儀式的な物として使われていた。
奈良団扇も春日大社の神官の手内職として作られていた歴史がある。

江戸時代以降、庶民用の団扇を作り始めるようになった際、現在の奈良団扇の最大の特徴である「透し彫り」の技法が生まれた。

戦前には10数軒あった奈良団扇の工房だが、その数は徐々に減少し、現在奈良団扇を作っている工房は「池田含香堂」たった一つになってしまった。

池田含香堂の団扇は、頑丈でよくしなり、扇ぐと心地よい風が生まれる。そして何より美しい。

奈良の伝統工芸品とされているが、素材すべてが奈良産という訳ではない。

骨となるのは、香川は丸亀の竹
風を生み出すのは、愛媛の和紙
どちらもその分野で有名な県だけに、池田含香堂の拘りが伺える。
特に和紙は、池田含香堂のためだけに作られている特注品だ。
和紙を実際に触ったところ、厚すぎず薄すぎず絶妙な感触であった。

そんな奈良団扇は、紙染め、貼りなどの行程を一年かけて行い完成させる。
夏の繁忙期は接客も合わせてしなければならない。営業で各所を回ることも多いそうだ。
もちろん個人から注文制作を承ることもある。

通常、この一連の作業は4〜5人で行われる。
しかし現在は六代目と母親の2人のみ。
先代である五代目は、六代目が小学2年生の頃に亡くなってしまったという…。

日本の夏に「涼」を届ける美しい奈良団扇だが、その裏には私たちが想像出来ない程の時間と手間が掛けられていたのだ。
しかも、たった2人で…。

今回私たちが透し彫りを体験したのは一枚の和紙。しかし本来は20枚もの和紙を重ねて彫りをする。

その20枚重なった、彫りかけの和紙のサンプルを六代目が見せてくれた。

模様を見てすぐに薬師寺の水煙の飛天像の柄だと分かった。
なぜ彫りかけたままなのだろうと疑問に思っていたところ、六代目が発した言葉にハッとした。

「これは先代の五代目が彫っていたものです」

根っからの商売人である職人は、自分が作った作品を全て世に出してしまうため、本当に大切な物はお店に出さないよう家族で大事に何年も何十年も取って置いてるようだ。

彫りかけの20枚重なった和紙を見てると、先代が作業をしている息遣いが聞こえてくるような気がした。

先代の生きた証を、敢えて完成させないで大切に保管しているのだろうか。色々なことを想像するだけで、なぜか私が涙ぐみそうになった。

伝統、名産
人々が寄って注目する「モノ」は、どうしても形や名前ばかりが先行してしまう。
しかし、その形を生み出し、その名前を時代に紡いでいる背景には、必ず一人一人の人間の存在がある。

「モノ」の背景にある人々の「イミ」をこそ「大事なものだよね」と皆が思える世の中を作りたい。

多くの職人、農家が後継者不足に悩む現代。
池田含香堂も例外ではない。

「わたしに出来ることは何だろう」
と考えながら、先代が彫りかけていたのと同じ柄の団扇をショーケースから手に取り、六代目の所へ持っていった。

生涯大切にするだろう。


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