見出し画像

私の中の奈良が不足している

最近、奈良に帰っていない。どれぐらい帰っていないかというとたぶん1年は帰っていない。たった1年だろう?と言う人も居るかも知れない。でも、私にとってはなんと1年である。今までこれほど長い期間奈良に帰らなかったことは1度もない。

1年帰っていなかった私に、今、危機的状況が訪れている。

それは何か?

奈良の話題を求めて、ネットサーフィンをしてしまうという禁断症状に直面しているということだ。

最近は、青空文庫で奈良を題材にした読み物を片っ端からダウンロードして読むという奇行に走ったりもした。しかしそれもすべて尽きてしまう。そもそも奈良を題材にする文筆家は少ないのである。読み尽くすのは容易い。

気がつけば更なるネタを求めてネットサーフィンを繰り返す日々。ブログなら「奈良に住んでみました」や「どっぷり奈良漬」といった有名どころのブログを読み漁るが、一向に私の中の奈良は満たされない。京都のブログならきっとこの3倍はあるだろうに!などと全くもって不毛な比較をしては嘆息する。

仕方が無いので、オンラインストレージに撮り溜めておいた奈良の写真を引っ張り出して眺める。少し落ち着く。ただ、それもだんだん飽きてくる。すると、ムクムクと新しいアイデアが浮かぶ。

そうだ!noteでまた奈良のことを書こう。

自分で奈良のネタを生産して自分で読む。奈良の自給自足である。

そうして私はこのnoteに戻ってきた。

だがしかしである。戻ってきて7日目にして気付いたことがある。自分でネタを書くよりも消費のスピードのほうが遥かに早いのである。結局私の奈良は不足したままである。

そんなわけで、今日も私は悶々としながら、奈良をネタにした読み物を書いている。これを読んだ誰かが、急に奈良に行きたくなって、その顛末を読み物や写真として投稿してくれることに期待しながら。

なおこの駄文を書き上げた後、妻に確認したら奈良は去年のGWに帰っているとのこと。不足していたのは奈良ではなく、私の記憶力だったのかもしれない・・・。

おまけ

折角なので奈良を題材にした青空文庫の読み物も紹介しておく。ここまで完璧に網羅したリストは、インターネット上にこれ以外では存在しないはず。

堀辰雄「大和路・信濃路」
高浜虚子「斑鳩物語」
野上豊一郎「奈良二題」
内藤湖南「寧楽(なら)」
宮本百合子「奈良に遊びて」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?