2021/7/30〇匿名性に敬意を


 呼吸を行う時に、ああ酸素よありがとう、そんな風に感謝しながら生きる人は少ないと思うのだけれど、インターネットの利便性についても、もはや当たり前すぎて同じようなものになっているのではないだろうか。過渡期に幸運にも自宅でPCに、ネットに触れることのできた私は、全体への利便につながるまえのあの混沌としたアンダーグラウンドのエンターテインメント性を忘れられない。あのころ、何がそんなに楽しかったのか改めて考えてみると、それは多分「コンテンツと匿名性」だったのだと思う。あとは、希少性(そんなに少ないわけではなかったが、それでもクラスではまだまだマイナーな遊びであったのだ)からくる優越感だろう。
 匿名であるから、相手を想像する。相手がどんな経歴か、年齢はどのくらいで、性別すらわからない。そんな中無条件に相手に敬意をもって接していたのは少数だったのか。そうかもしれないが、もしかすると、素性の知れた相手より、匿名の相手の方がより格が上のように扱っていたかもしれない。
 サイトによって文化が異なるため、匿名を盾に好き放題目も当てられない乱暴なやり取りもあっただろう。そう現代のありふれた日常のように。
 匿名性に敬意を取り戻すことができたのなら、そう思ってしまうのもしかたない。

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