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クロネコヤマトミュージアム(東京都港区・品川駅)

宅急便といえばヤマト運輸の専売特許。他の会社で行っている事業は宅配便とくっきりと分かれている。クロネコヤマトで知られているヤマト運輸の事業を紹介する場所として東京にはクロノゲートが羽田にあり、そちらでは工場見学のような意味合いが強いけれど、品川にあるこちらのクロネコヤマトミュージアムは比較的あたらしく開設された場所で、クロノゲートに比べると資料館といった趣きの強い場所になっている。

ヤマトグループが運営している障害者支援の一環であるスワンカフェのある2階が入口になっている。ミュージアム受付でカードキーを受け取って専用ゲートをくぐり、エレベータで6階へ。ここからスロープ状の展示室を降りながら2階へと戻ってくるという順路になっている。
ヤマトグループの創業は1919年。原料紙問屋の川善で生まれ育った小倉泰臣が銀座の地でトラックわずか4台というところからスタートしている。ちなみに屋号は彼がかつて働いていた薪炭商の「山登屋」から取られている。最初は鮮魚など生物を市場などへ運搬する事業から始まったものだったが、やがて小口輸送の運送会社へと切り替わって行く。社訓として今でも語り継がれる「大和は我なり/運送行為は委託者の意思の延長と知るべし/理想を堅実に礼節を重んずべし」も当初から残されている。円形シアターではそのヤマトグループの歴史がスクリーンで紹介されている。

生活に欠かせなくなった宅急便

日本初の路線事業を開始したのもヤマト運輸で、このあたりから事業の多角化が始まっており、それに合わせて宣伝広告にも力をいれることに。クロネコヤマトのシンボルとして有名なネコマーク誕生についても紹介している。もともとはアメリカのアライド・ヴァン・ラインズという輸送会社で使用されていたネコマークから着想を得て、自社でもオリジナルのネコマークを作ろうじゃないかと社内公募したところ、広報室だった清水氏の娘が描いた絵がイメージとして採用されたのだという。ちなみにその絵は白猫だったのだけれど、なぜそれが黒猫になったのかは定かではないらしい。なお、清水家には黒猫と白猫がいたらしい。

ヤマト運輸は運送会社としては変化に乏しく、時代に乗り遅れて存亡の危機を迎えたことがある。多角経営が災いとなり、他の業者に次々に取って代わられる中、どうするべきかと模索した二代目の小倉昌男が、業者への運送ではなく家庭から家庭への輸送を行う宅配サービスを中心にした事業にシフトすることを表明、当時の役員からは猛反対を喰らったがなんとか押し切りスタートを切ったのだという。初日はたったの11個、最初の1ヶ月では9000個以下という苦難から始まったが、それをバネにアイデアを持ち寄り、需要を読み取りながら丁寧に確実な仕事をすることでサービスは定着し今日に至っている。

ドライバーたちの歴代制服

館内ではセールスドライバーたちの歴代の制服や、ロールボックスパレットへの荷物の乗せ方、宅配車であるウォークスルー車への乗車体験などもできる。また専用端末機であるNEKOシステムの紹介もここでされている。現在は8代目となるシステムはこれからも時代のニーズを読み取りながらアップデートされて行く。電子商取引が拡大し、また顧客を取り巻く環境も変化したことによってさまざまなサービスを提案しているヤマトグループ。100年も続いている歴史に少し触れてみるだけでも面白い。トイレはウォシュレット式。

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