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荒川知水資料館アモア(東京都北区・赤羽岩淵駅)

東京都の北側と埼玉県の境界線としての意味もある荒川。その名の通り昔から暴れ川として知られてきた。荒川知水資料館アモアは、そうした洪水被害を防ぐために赤羽岩淵に作られている水門の麓にある水を知るためのミュージアムである。治水ではなく知る水と書いてチスイなのが特徴。

入口すぐの1階ロビーでは荒川水域と、荒川に生息している生き物がお出迎え。甲武信ヶ岳を水源として東京湾へ注がれる173kmの長さを誇る川である。東京都内を流れている下流部分は人工的に作られた水路で、まさにこの岩淵水門を基点として東京湾へと流れて行く。水門は1930年に完成しており、90年以上の歴史を持っている。

水門が近いです

メインとなる展示室は2階になっている。利根川に流れ込んでいた荒川だったが、徳川家康の命によって行われた利根川の河道を付け替える工事の一環で掘削作業によって西へ水路を変えた歴史がある。さらに1910年に起きた大洪水がきっかけとなり、東京を水害から守るために放水路としての建設がおこなわれた。岩淵から中川の河口まで22kmの大規模な放水路を作り、洪水時に隅田川と荒川に流す水の量を調節する役目を持っている。

アモアは分岐点に存在します

この荒川放水路としての建設に携わったのが土木技師である青山士で、パナマ運河の建設に携わった唯一の日本人。パナマ運河で培った技術を生かして建設工事を指揮している。クリスチャンである内村鑑三の影響を受けて私利私欲でなく後世の人類のためになる仕事をしたい、という想いからはじまっており、工事に際しても自ら現場に赴き泥にまみれて作業を行ったという。

青山士コーナーもあるよ

 3階の屋上展示では荒川放水路が増水路にどのような役割を持っているのかを紹介しているミニチュアの展示があり、スイッチを押すと水が増水して水門が開閉する仕組みをわかりやすく紹介してくれている。すぐ目の前には二つある水門のうちかつて使われていた赤門(現在は少し下流にある青門が使われている)が見える。トイレは洋式。

具体的な放水作業も模型でわかりやすく伝えている


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