パルテノン多摩&旧富澤家住宅(東京都多摩市・多摩センター駅)
パルテノン多摩。パル多摩である。多摩センターのシンボルとも言える建物で、多摩センターの中央から真っ直ぐのパルテノン大通りの突き当たりにあり、パルテノン神殿さながらの柱があることからそう名付けられているという。
中にはコンサートホールなどがある複合施設で、改修されてプレオープンとなっているこの時期、歴史ミュージアムが開館しているのでせっかくだし訪れてみた次第。中にはミュージアムの他、館内には古い楽器が展示してあったりしてたまに演奏されたりもしているそう。トイレは洋式で意外。
多摩丘陵の歴史をひもときつつ、この地域が多摩ニュータウンとして生まれ変わっていった様を展示している。多摩ニュータウンで特徴的なのが歩車分離型の道路で、多摩センターなどはその代表例で車道は地上、歩道はその上のエリアというように切り離されている。そのため歩行者の安全が図られているし、何より多摩ニュータウンの基幹であろう子育て世代にとっては安心することこの上ないはず。緑も多いし。坂道が多いのはかなり大変だとは思うけれど、その辺りは車での移動がほとんどなのだろう。
都内でも一、二を争うキラキラした駅名である聖蹟桜ヶ丘も多摩ニュータウンの一角で、もともとは関戸駅だったのを、天皇が行幸したことから聖蹟、桜が多く植えられたことから桜ヶ丘、となったそう。ちなみに映画『耳をすませば』の有名な地球屋ロータリー、道に迷って偶然いったことがあるのは密かな自慢。聖地巡礼とか関係なく、そもそも舞台だったことも知らなかった時に迷い込んで後から知った。多摩ニュータウンでジブリって言ったら『平成たぬき合戦ぽんぽこ』だからね。
さて聖蹟桜ヶ丘の「桜ヶ丘」の部分。桜を植えた中心の人物が富澤政恕という名主。ここから流れるように富澤政恕の住んでいた住宅へと移動する。パル多摩の敷地にある広大な公園の一角に旧富澤家住宅が移築されており、ここもまた自由に訪れることができる。
江戸時代末期から大正時代にかけての人物で幕末の動乱期を生きた。新選組とは深い関わりがあって、本人自身が天然理心流門下どころか近藤勇の兄弟弟子で、近藤家を勇が相続することを支援している。近藤をはじめとして土方歳三や沖田総司ら試衛館の面々がここへ訪れたり、逆に富澤自身が京都の新選組屯所を訪れたりしている。そしてこれらのことがパンフレットには一切ふれられていない。もっと推してもいいのに。
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