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東洋学園大学史料室(東京都文京区・水道橋駅)

東洋女子短期大学を前身とする東洋学園大学は、女子歯科医学を専門とした学校としておよそ百年ほど前に作られた学校である。校舎にの敷地内には東洋女子歯科医学専門学校発祥の地という石碑が立ち、歴史ある地であることが思われる。校舎で最も目をひく1号館のフェニックス・モザイクがシンボルになっており、これが目印にもなっている。

研究室の立ち並ぶ1号館の9階、その一角にあるのが東洋学園史料室。スペース的には他の研究室と同じような広さだろうか、広いわけではないものの、限られたスペースの中でなるべく多くの情報を伝えようとする思いが展示パネルから伝わってくるようである。
創立者は宇田尚、槃山と号した実業家で、議員の片腕となり複数の企業経営や企業を手がけ、そこから教育へ注力しようと創設したのが東洋女子医科歯学専門学校で、実業家時代に築いた人脈を結集して作られた学校だという。宇田尚は東洋思想の研究者として漢学にも精通しており、それを背景に精力的に著作を続けており、徳富蘇峰とも政治的行動を共にしたという。こんなところで徳富兄の登場である。

歯科医学の専門学校ということで、展示室の中には歯医者で使われる医療機器が多く展示されている。二千人以上の女性歯科医師を送り出した学校ではあったものの、戦争によって被災し戦後を経て女子の歯科医療専門学校は大学へ移行することができなかったため現在は歯科医学から英語教育へと教育内容を転換しているが、現在はその英語教育に注視した教養をメインにしている。

校舎の前には前身となった学校の碑がある

校舎の象徴ともいえるフェニックス・モザイクの壁は建築家の今井兼次によるもの。今井兼次というと個人的にはかつて住んでいた場所の近くにあった橋や、頻繁に訪れている早稲田大学のいくつかの博物館を建築している人物ということでなんとなく親近感があるのだけれど、特にこの東洋学園大学のフェニックス・モザイクは氏の代表作の一つで、なんと入学案内にも示されているほどの「顔」である。壁画の作成から六十年以上が経った今でも君臨しつづけている。壁画の断片が展示されていたり、フェニックス・モザイクに関する冊子が配布されていたりとかなり注視されている展示内容といえる。トイレはウォシュレット式。

東洋学園大学の顔ともいえるフェニックス・モザイク

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