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賀川豊彦記念松沢資料館(東京都世田谷区・上北沢駅)

ノーベル賞に何度も候補として上がったと言われている賀川豊彦。友愛資料館ではじめてその存在を知った賀川豊彦の業績を紹介するとともに、キリスト教の信者だった賀川豊彦の教会礼拝堂を兼ねた資料館となっている。松沢教会という特徴的な教会に隣接している資料館で幼稚園などの施設も備えており人通りも多い。松沢教会も賀川豊彦の作った教会で、資料館の中にも礼拝堂がある。

友愛労働歴史館でその存在を知って以来、少し気になっていた賀川豊彦。どんな人生を歩んでいた人物なのかということで最初の展示室では、学生時代にキリスト教と出会って洗礼を受け勉学に励んだことが紹介されている。神戸で生まれ幼少期に両親を失い、徳島で父の本妻のもとで育ったという複雑な少年期を過ごした賀川。病弱な中学生の時に出会った宣教師マヤスに感化されて受洗、東京の明治学院大学へ進むことになる。本バカ、というあだ名が付けられるほど本が好きな賀川は、明治学院の豊富な書籍があったからこそ学生生活を続けられたと後に述懐している。

教会内部のような造り

その後マヤスが教授を努める神戸神学校へ復学し、伝道を行うために入居したのは神戸のスラム。苦難の生活を余儀なくされているスラムでの生活を目の当たりにする中で賀川の友愛の精神は培われたと言ってもいい。伝道で知り合ったハルと結婚し、眼病による失明の危機を乗り越えながらも二人三脚で無料診察や教育などで奉仕した。

眼病に悩まされサングラスをしていた

その後アメリカへ渡って現地のスラムや労働者のデモ行進の様子を見たことで帰国後に労働運動を開始、「労働は商品ではない」という人格主義に基づいて活動することになる。労働運動自体は無抵抗主義の運動を貫いた賀川と激化する運動側とで分極化して行くことになるが、賀川は農民運動などでも活動、貧民問題などを掲げた小説『死線を越えて』や農村問題を掲げた『一粒の麦』など多くの小説を発表し大ヒット、印税費用をそれらの運動へ充てている。

印税費用を活動に充てていた

企画展としてその妻である賀川ハルに焦点をあて、その事績を紹介している。もともと熱心な求道者ではなかったハルが神戸で働いていた時に知り合った賀川の情熱あふれた説教に魅せられ、やがてその伴侶となることとなる。豊彦の没後も婦人運動家として活動しているハルはまさに夫の意志を受け継いだ人だったと言える。

求婚のエピソードも独特

賀川豊彦の記念碑は国内のみならずアメリカにもキング牧師らと並んで彫像が残されており、彼の生前の業績は今もまだ人々の心に残っていることだろう。「光の庭」と名づけられた資料館の中庭も出入りすることができ、静謐な時間を味わうにはもってこい。トイレはウォシュレット式。

光の庭 快晴だったら光が溢れる

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