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平和記念展示資料館(東京都新宿区・都庁前駅)

総務省委託の平和記念展示資料室は東京都庁から道を挟んだ向かい、新宿住友ビルの33階にある。その名から想像できる通り、太平洋戦争における兵士や戦後の強制抑留者、海外からの引揚者に関しての資料を中心に紹介している。

最初は兵士コーナー。徴兵制があった先の戦争では、満二十歳に達した男子は徴兵検査を受け、合格者を兵士として扱った徴兵制度の元、待機状態にある補充兵へ届いたいわゆる赤紙と呼ばれる臨時召集令状によって戦地へ赴く兵士の様子を紹介している。実際に戦地で使用された道具がケース展示されている。戦死した時に身元がわかる認識票や、弾除けのお守り、果ては戦争末期に物資不足から作られた陶器製の手榴弾まである。実際に戦地へ赴く兵士たちの命懸けと対照的な形振り構わない軍部の様子がここからも感じられる。

そうまでして戦争を続ける理由

次は戦後強制抑留コーナーである。戦争が終わったからといってそれで終わりではなく、交戦している最中で終戦を迎えた兵士たちは主にソビエト軍に捕まり、シベリアへの強制労働に従事させられることになった。ここでは過酷な労働はもちろんのこと、パンのひとかけらまで争うほど貧しい食事を与えられた収容所(ラーゲリ)での生活の様子が紹介されている。生きるための必需品だったスプーンや飯盒、次々に死んで行く同胞たちの様子に言葉が出ない。歌手の三波春夫、作曲家の吉田正といった芸能界の重鎮たちも長期間の抑留生活を余儀なくされている。終戦後10年以上たっても抑留された兵士が何人もいた。

一切れのパンの幅まで争った

最後は引揚者のコーナー。国策によって作られた満州国。これら満蒙の地を開発するために国内から多くの移民が移り住んだ。喧伝された内容とは程遠い凄惨な新天地の厳しさに戸惑う中で、敗戦後は日本政府によって碌に本土へ引き揚げることもできず多くの移住者が避難民となった。これらの地は戦争によって蹂躙され多くの人が命を失っている。さらに引揚によって無事に帰国できたとしても肉親をなくし、海外で築いた生活や財産を失っている状況で、そこから新たな苦難が始まるという有様だった。

ほとんどの移民が苦難に遭った

企画展では特攻隊員が遺した言葉についての特集を行っている。戦争末期。航空特攻作戦によって散華した1036名の特攻隊員。鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されている彼らの遺影や遺書、遺品の一部をここで展示している。残された家族を案じる「兄」、自決した家族に会えると喜び勇む「夫」、最後の夜に父親と枕を並べて眠ることができた「息子」など、さまざまな人間がいた。

いつか知覧も行かないとね

体験コーナーとして、当時の兵士の軍装品を手にできる体験展示がある。食料や日用品、鉄の帽子などを縛り付けたリュックサックは20kgにも及ぶ。実際に手に取ってみるとその重さがわかる。さらに銃を抱えて走り回るわけだ。はっきり言って無理。トイレはウォシュレット式。

見た目に反してやばいくらい重い

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