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大森海苔のふるさと館(東京都大田区・平和島駅)

平和島といえば競艇が最初に浮かんでくるが、平和島競艇へと向かわずに流通センターの方へと向かって行くと、アスレチック公園の隣にあるのが大森海苔のふるさと館。大森エリアはもともと海苔を養殖していた地域で、今でも大森エリアの周辺には海苔の販売店が多く残っている。

1階の入口では巨大な船がお出迎え。海苔の摘み取りに使用していた「べか舟」という舟で、大森海岸沿いには多くの海苔養殖場があり、古くはこのべか舟を漕いで海苔養殖場へ出かけたという。やがて事業の拡大と共に遠い沖へと海苔場が広がり、千葉県沿岸まで種付け(胞子付け)をしに大型の船を使うようになる。全盛期には700艘あまりの船があったという。

べか舟の現物

海苔のシーズンは主に冬、生産者は正月も関係なく働き、冬は深夜二時くらいから作業を始めていたらしい。とても真似できない。海藻として採れた海苔を刻んで溶かして簀に付け、そこから平面に伸ばした状態で乾燥小屋に入れて乾燥させるという作業。地元の小学生はその多くが海苔業者だったため、その手伝いで登校前に一家総出で手伝いをすることも多く、小学校ではその時間を考慮した時間割が作られたという。

正月も関係なく海苔をつくる

2階がメインとなる展示室。海苔養殖における歴史、海苔業者の1年間の流れや使用していた道具などを紹介している。海苔養殖は潮の流れなどで大きな影響を受けるらしく海苔養殖場をどこにつくるかで潮の流れも変わってしまうことから、大森周辺と近隣の地域では諍いもあったという。江戸時代には片方に肩入れした代官を成敗するといった事例も起きている。将軍に献上されるほどのブランド品だったのもあるのかもしれない。

海苔づくりの一年が紹介される

3階は休憩室と展望台になっている。展望台からは大森ふるさとの浜辺公園が一望できる上、花壇テラスもある。東京湾の拡張のために昭和38年には無くなってしまった大森の海苔産業。かつてここで隆盛を誇っていた事業を思い返すのもまた良いかもしれない。ちなみに歌手の鈴木雅之がこちらの大森海苔大使になっている。トイレは洋式。

急に鈴木雅之

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