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未来の運動会の「未来」は「今」だという話

どうも運動会エンジニアです。

5月3日〜5月5日で、YCAMスポーツハッカソン2019第4回 未来の山口の運動会にモーキャプおじさんとして参加してきました。
今回は年末年始にやっていた銀座ソニーパークでの未来の運動会で生まれた(というか名付けられた)モーキャプグラウンドのアップデート版として、2面のモーキャプグラウンドをつないでリアルタイムに協調動作させる環境を用意していきました。
今回は同じスタジオ内に2面設置しましたが、将来的には離れた場所にいながら一緒に遊べる、スポーツのオンラインプレイみたいなことが可能になるはず。

今回のスポーツハッカソンでは、このモーキャプグラウンドを使ったかきぞめボールみんなで作ろうスクラッチ!の2種目が生まれました。デベロップレイヤーのみなさんありがとうお疲れ様でした。
技術的には、食わず嫌いだったOpenGLのステンシルバッファを使ってみることができて楽しかったです。

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さて本題。

今年3月に福岡で未来の運動会をやったときも思ったのだけど、どうも「未来」という言葉の解釈に誤解があるな、という気がする。
僕は未来の運動会という名前の発案者じゃないし、途中から参加し始めただけなのでこれが正しいとか言う気はなくて、あくまで僕の解釈ではこうという話だけど。

よくある勘違いとして、デジタルとかテックとかが未来なんでしょ?というのがある。

違うんだ。違うんだよ。

確かにデベロップレイの場には「未来の運動会道具」とかいってテッキーなデジタルツールを紹介するし、未来の運動会には何かしらテック要素がないと僕も物足りない。何より僕はいまは運動会エンジニアとして、主にテック周りのサポートをしている。

でも、改めて考えて欲しい。いまここにある技術って「未来」なのか?違うよね?じゃあいつなの?今でしょ。
今の技術を使うってだけなんだから、テック要素があるだけだったら何も未来じゃないよね。
テック要素があるのは、未来を担保するために必要だからじゃなくて、いま運動会を作るなら当然利用するよねっていうだけなんだと思う。

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ちょっと説明が難しいんだけど、未来の運動会の「未来」っていうのは、

例えば100年後の運動会をポンっと現代に持ってきて「これが未来の運動会です!」みたいなことがやりたいわけではない。それは絶対に嘘だし。
俺がお前らの知らない未来を見せてやるぜヘヘヘイみたいなことでもない。

そういうことじゃなくて、「いま何かを作る」ということは「未来のことを考える」ということであって、その姿勢を未来と呼んでいるということなんじゃないかな。
つまり、未来ってのは100年後じゃなくてもっとすごく近い未来のことで、それは明日かもしれないし5分後かもしれないし、場合によってはそれはもう今と同じことかもしれない。

未来の運動会はみんなで未来の壮大などこか1点へ向かうような収束的な活動ではなくて、みんながそれぞれ勝手に自分の近い未来をデザインし続けるようになるような、発散的な活動なのだと思う。

みんなが未来の1点に収束していくのではなく、個人が思い思いにそれぞれの方向へ向かい、全体としては発散していく活動。

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と、いうような話を昨日妻としていて、まあ「未来の運動会」っていう名前は当然そういう誤解を受けるよね、と言われた。

まあ、うん、わかってるんだけどね。良いことも悪いこともあるけどわかってて使ってる感じですよね。はい。

で、誤解の少ない名称はないものかちょっとブレストしてみたところ

「今年の運動会」

がなかなか良いのではという結論になった。毎年アップデートされる感あるし、自分たちで作る感あるよね。

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次点で「令和の運動会」というのもよかった。みんなで作るというこのコンセプトは数十年後にはもはや普通で、むしろ古臭くなっているだろうというポジティブな未来予測がタイムカプセル的に名前に込もっているのがすごく好き。

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というわけで、あなたも来年あたりあなたの地域で今年の運動会を開催してみてはどうでしょう。

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