植杉豊_

「カツオの一本釣り・日本一」

11月3日、「カツオの一本釣り・日本一」と言われた植杉 豊さんを清水漁港のご自宅に訪ねた。10m前方には、海面が見える場所だった。植杉さんは、昭和14年生まれの79歳。中学を卒業すると、すぐにカツオ船に乗り、カツオ漁一筋に生きた人である。

「当時は、学校では、カツオ船に乗る者は、英語の勉強などせんでええと言われた。だから、英語の授業は受けなかった。カツオ船は、金にはなった。カツオ船で年に1200万、マグロ船で年に1600万。すぐに家が建った。私は、22歳で一人前になり、28歳で漁労長になった。カツオ船では、漁労長は船長より偉い。台風に巻き込まれ、船長が誤って舵を切った時には、私は、船長を殴った。みんなの命がかかっていたから」

「後輩を指導するときは、殴ったらいかん。なるべく目立たないように、隅っこに呼んで叱る。殴ったら、みんながその子を殴るようになる。仲間といっしょなら、いつ死んでもええと思って仕事をしとった」

「日本一になったのは、昭和55年、41歳の時。漁獲量で決まる。カツオを釣るというのは、優れた漁法で、カツオを捕り尽くすことがない。網で捕ると、その場のカツオを捕りつくしてしまうので、いずれ、カツオがいなくなってしまう」

「長く生き過ぎたな。女房は、60で死んだ。もう、いつ死んでもええ。ここだと津波が来たら絶対に助からんが、かまん。海で死ねれば、本望よ」

土佐清水・以布利漁港にて。漁師の朝は早い。氷を積み終わると、朝焼けに向かって出漁して行った。

高知県西部の朝焼け、夕焼けは、美しい。これは、以布利漁港からの朝焼け。

植杉さんの家からすぐの山地に建つ小社を覗いてみた。

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