あやちゃんが帰高

2019年1月3日は、フリー・ジャーナリストの成川 彩(娘)に海鮮料理をおごってもらった。『中央日報』(韓国)の写真の掲載料(10000円)ももらった。

彼女は、1月11日号の『週刊金曜日』に「民衆が王朝に期待できるものは何もなかった」という記事を書いている。彼女は、現在、ソウル近くの田舎町に住んで、映画の勉強をしながら、ジャーナリストとして活動している。活字媒体にとどまらず、TVでも活動。翻訳や通訳の仕事もしている。

9年務めた朝日新聞社は、彼女を韓国特派員にしてくれなかったので、貯金をはたいて、自力で「韓国特派員」になった。3度目の韓国留学である。現在、韓国の日刊紙のみならず、朝日新聞にも連載エッセイを書いている。

仕事は、向こうからやって来た。留学当初(2年前)、「日本の元朝日新聞記者が、東国大学の大学院で映画を学んでいる」という内容の記事が、新聞の紙面を飾ったことがあり、それがきっかけで、あちこちから声がかかるようになったという。留学と元新聞記者という要素が、彼女を「韓国特派員」の地位に押し上げたようである。

彼女には、子どものころから、制約を制約と考えないところがあった。

彩の夫の「しゅんちゃん」は、現在、司法修習生として、東京で暮らしている。彩が活発なので、「遠距離夫婦」が続いており、しゅんちゃんには一方ならぬご迷惑をおかけしている。

食後お茶を飲もうとしたが、1月3日ということもあり、適当な喫茶店が見つからず、結局ホテルのロビーでおしゃべりした。他愛のないニワトリ談義に花が咲いた。(私は、ニワトリを30羽飼っている)

「テコンドー初段」

「彩はテコンドー初段」娘の彩は、神戸大学法学部の1年生が終わるころ、遠慮がちに、「2年生は、休学にして、韓国に語学留学したいんだけど、……」と言い出した。「金はどうするねん?」と聞くと、「1年間、バスにも乗らず、皿洗いをして貯めた」と言う。ということで、韓国でも日本語の家庭教師などのアルバイトをしながら、韓国語を勉強していた。自分の稼いだ金で勉強していたので、韓国語の上達は早かった。しかし、語学だけの留学に物足りなさを感じ始め、ある日、町のテコンドー道場の門をたたいた。ソウル市内の門弟200人という大きな名門道場である。

日本人嫌いの師範は、(どうせ、こんな女は、すぐやめるだろう)と思いつつ、入門を許した。早くやめさせるために、彩にだけ特別厳しかったという。ところがどっこい、彩は、反日家のしごきに耐えた。種明かしをすれば、私が、彩が小学生のころに、空手や少林寺拳法を教えていたから、テコンドーの下地ができていたのである。中学時代には、高知市内大会で、初めて走った800m走で優勝している。マラソンは、小5まで、男の子にも負けず、学年でずっと1番であった。だから、ソウル市内の凍てつく街路を走らされても韓国の男たちについていけたのである。

彩がしごきに耐え、いつまでたってもやめそうにないので、師範は彩に対する考え方を変えた。(日本に帰る前に初段を取らせてやろう)と考えた。それで、しごきはさらに激しいものとなった。「おまえら、彩に手心を加えたら、殺すぞ!」との厳命が下った。彩と練習した男子高校生たちは、練習が終わってから、泣きながら謝りに来たという。およそ、生の日本人を初めてみた子どもたちで、「あや、あや」と道場の人気者だったようだ。
テコンドー初段というのは、日本では、大学のテコンドー部で4年生になってやっととれるかどうか、というものらしい。それを、彩は、8か月で取ったのである。師範が大の反日家であったから。

彩は、韓国に3回留学しています。2回目の韓国留学を終えて、成川塾の中3生相手に体験を話しているところです。この時は、女子の秀才ばかりで、彩の話を食い入るように聴いていました。

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