桑原史成さん(報道写真家)のこと
2010年1月16日、辺野古の座り込みテントの写真を撮っていたら、近づいて来た人がいて、「あそこから撮るといいですよ」と教えてくれた。教えられた場所に立つと、なるほどいいアングルだった。その人が、知る人ぞ知る桑原史成(報道写真家)だった。1936年生まれだから、今年で82才である。2014年に土門拳賞を受賞している。
モーターボートに同乗し、1時間ほど辺野古のキャンプ・シュワブ(基地)を洋上から遠望したが、その間、彼は、精力的にシャッターを押しまくっていた。しかし、私が下船する時、彼は下船しなかった。「桑原さんは下りないんですか?」と尋ねると、「もう1回挑戦してきます」と言って、再び洋上の人となった。(あれだけシャッターを切っても満足しないのか)と不思議だった。
その翌日、沖縄戦の激戦地として知られた伊江島の城山に登っていると、また、彼と出会った。着眼点は同じなのである。重い撮影機材を山頂に運び上げるため、中腹で休憩していたのである。「お持ちしましょう」と声をかけると、「いえ、大丈夫です」と応答した。押し問答を許さない強い拒否だった。(ああ、根性が違うな)と思った。
私が写真を撮り終えたころ、彼は重い機材とともに頂上に到着した。そこで、彼と10分ほど談笑することができたことは、一生の思い出である。
高知に帰ってからしばらくして、月刊誌が送られてきた。グラビアページを彼の「執念」が飾っていた。どこからどう見ても好々爺にしか見えなかったが、鋭い感性の人であることに、改めて気づいた。
モーターボートの船長さんだが、この人も写真家である。水中写真を撮りに来て、辺野古基地建設反対運動に目覚め、居ついてしまった。船舶免許を取って、反対運動の応援に来た人たちを海に案内することを役割にしていた。
フェリーから見た伊江島の全景である。中央の山が、城山で、沖縄戦の激戦地として知られている。
伊江島の城山から見た島ののどかな広がりである。
※桑原史成写真美術館というのがあります。
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