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人は誰でも、選ぶことが出来るのに。

先日少し年上の女友達の結婚式と披露宴に出席した。

彼女とは付き合いが長いわけではないが、出会った時から不思議と意気投合して、というよりも、なぜか彼女が私のことを気に入ってくれて急速に仲良くなった。

30歳近くになってもこういうことってあるんだなぁと思う。


出会ったばかりだったけれど誕生日を持て余していた私は軽い気持ちから彼女を食事に誘ったら、プレゼント代わりだと言って行きつけのお寿司屋さんで美味しいお寿司とシャンパンとケーキでお祝いしてくれた。


そんな彼女から、結婚式をやるからぜひ式に出て欲しい、と言われ、NOという選択肢は無かった。

出会って数ヶ月で結婚式に!?と思うかもしれないけれど、言葉では言い表せない友情を感じていたからだ。

当然共通の友人が居ない中私は一人で式に出席し、披露宴の席に着いてみると、そういった同じような女性が何人も来ていて、自然と彼女たちと披露宴の合間に会話を紡いでいった。

結婚して、都内の一等地に家を建て子育てに奮闘する専業主婦もいれば、一人で起業してネイルサロンを開業している同い年の女性も居た。皆一同に美人だ。(彼女も美人だからだろうか?)

二次会にも出席することになっていた私は、披露宴のあと、しばし空いた時間を彼女たちとお茶をして時間を潰し色々な話を聞いた。


ネイルサロンオーナーの彼女は周りの顧客から店の運営についてあれこれと言われて悩んでいた。

一方主婦の女性は、子供が手離れしたら社会復帰したいと思いつつも旦那が反対していて望めないという悩みを抱えているらしかった。


私から見たらとても幸せそうなふたりなのに、それぞれ抱えている悩みがあって、私に対しても同等に何かそういったものを期待されているようだった。


フリーランスの私にはあれこれ言われて疎ましい顧客も居ないし、今はフリーなので口うるさいパートナーも居ない。だからこれといって大きなストレスは無いというと彼女たちは静かになってしまった。

美しさも世間からみた幸せも持っている彼女たちなのに何を悩むことがあるのだろうか。

顧客も、パートナーも元は自分で選んだ存在だ。

自分で選んで置いて、その存在に悩まされているなんて、なんだかナンセンスだ。


新郎の友人が8割を占めるなか二次会は盛り上がり、出席者が少しずつ解散していった。

私は彼女から前もって、「最後の三次会まで一緒に来てね」と言われていたので最後まで残っていたが、友人グループはそれぞれ別々に街へと散ってしまったらしく、私は結局新郎の友人数名と、彼女と一緒に彼らのホテル部屋で慎ましく飲んでいた。

酔っ払った新郎も先に寝てしまい、とうとう友人と二人でワインを開ける。

「あなたの色々な友人と話せて楽しかったよ」と彼女に言うと、

「それなら良かったけど、実は色々複雑なのよね」と口を開いた。

実のところ二次会には、結婚式にも誘ったが応じなかった人が居たり、良いリアクションをしてくれなかった人も居たそうだ。


もうこの齢だから、結婚すると言っても手放しで喜んでもらえはしないと漏らした。

彼女はとても性格の良い子だから、そんなわけはないとちょっと驚いたが、

彼女が言うには、定番だが「私の方が先に結婚すると思っていたのに…」という想いがあるのではということだった。

うーーん、そういうのは都市伝説だと思っていた私にとっては衝撃的なことだった。

第一人の幸せを素直に祝えない人を友人と呼べるだろうか、そしてそういう相手に無理に祝って欲しいとも私には思えない。


彼女はとても前向きで明るい性格だけど、こうやってやっぱり少し"世間一般の価値観"に支配されているような気がした。


ここでもまた前述の彼女たちと同じように、「自分で選べるのに、なぜ」という想いが私の中にふつふつと蘇る。

どういう物事を注視するか、何を信じるか、どんな友人を持つか、何を幸せだと想うか、人はだれでも自分で選ぶ事ができるのに。












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