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(連載2)             ポストコロナ時代の大学選び

2.大学卒業のための投資
日本の大学の学費は高い
 今年から従来の大学入試センター試験は大学入試共通テストと変わることになるます。当初は英語の民間資格試験や検定試験を代用するという予定でしたが評価の公平性に問題があるため実施しないとか、記述試験は採点の問題で延期とか、文部科学省(以下文科省)の突然の変更で大学志望の受験生は戸惑うことが多かったと思います。最後の大学入試センター試験を受けて入学した学生は、新学期時期の新型コロナのパンデミック騒ぎで入学式もなし、キャンパスも出入り禁止、サークル、部活もし自粛、授業もオンラインのみという生活になり、なんのために高い費用を出してアパートの部屋を借りているのかわからないということになりました。学費や部屋代を払うためのアルバイトを探しても見つけられないという申告な状況になっているということも一部で報じられました。
 日本の大学の学費は決して安くはありません。入学から卒業するまでには、国公立大学でも自宅通学で4年間で約500万円、自宅外通学では約この2倍程度、私立大学では自宅通学で文系で約730万円、理系で約830万円、私立医歯系は六年間ですから、その費用は自宅通学で約8302300万円程度必要だという調査がでています。自宅外ですと住むところにもよりますが、平均して1年間で100万円程度の仕送りが必要になります。保護者の方にとってはご子弟を大学をさせるということは。人生でマイホーム取得にかけた費用に次ぐ投資となっています。これだけの投資をするならば、当然お子さんが希望している大学、しかもなるべく入学の偏差値が高い大学、あるいは巷で有名な大学を卒業させてやりたいと思うのは当然です。しかし、待って下さい。今年のような新型コロナ問題が出る前は、確かにここ数年間の大学生の就職は売り手市場になっていて、どの大学を出ても会社を問わなければいったんは就職が可能です。しかし、新卒学生の3年以内での離職率は約3割を少し上回っています。3人に1人が辞めることになりますが、辞めた後に新しい仕事が見つかれば問題ありませんが、そのまま非正規雇用者となってしまうことも珍しくありません。今年は新型コロナの影響があってもすでに昨年度に内定が決まっていますから大学の就職率は希望者の98%ということで好調でしたし、内定取り消しもごく一部の企業であったと厚生労働省や文部科学省は伝えていますが、問題は来年度の就職率です。多くの企業では新型コロナの影響で新規採用を抑制することで内定率も著しく下がっています。これでは、せっかくご子弟に高額な費用をかけて大学を卒業してもその経歴があまり役に立たないことになってしまいます。また、最近、4月の一括採用はやめにして通年採用に変えるという企業も増えてきました。これは年功序列型の採用をやめることに他なりません。仕事の内容に応じて年俸制で採用する。いわゆるジョブ型採用に切り替えた方が優秀な人材が採用できるということでもあります。こうなると、採用される側の卒業生がどれだけ専門知識を身に着けているのか、企画力はあるのか、国際的な教養をしっかり身につけているのか、語学力はあるのかなどの本当の意味での実力が求められることになります。このような雇用が普通の社会になれば、ただ入学が難しかった偏差値の高い大学を漫然と卒業しただけではあまり意味はありません。大学教育のなかで、どれだけの教養、専門知識、スキルなどをしっかり自分の実力として身につけたかを問われることになります。
高等教育における公的支出の低さ
 2001年に小泉内閣が発足したとき、国会での演説が「米百俵の精神」であった。明治の改革で政府軍に敗北した新潟の長岡藩の窮乏に対して、見るに見かねた支藩から米百俵が贈られたが、これを今日の糧とせず教育施設の費用として使うことが将来百万俵を生み出すとした志を述べたものであり、この言葉はその年の流行語にまでなりました。ところが、この演説とは真逆の政策を進めたのが当の小泉内閣であり、規制緩和の名のもとに国立大学を含む高等教育までを自由競争の場に投げ出してしまいました。国として教育を守るどころか、教育に対する国の公的資金の支出がGDP比でOECD加盟国の34位という情けない状況にになってしまったのであります。大学が時を追うごとに衰退し、しかもそのような大学卒業の資格を取るのに、マイホーム取得に次ぐ投資をしなければならないという日本の現状をどう思いますか。
 残念ながら、現状ではこのような投資に見合う大学として推薦できる大学は国公立でも私立でもほとんどありません。大学を卒業して。少なくても30-40年の間は仕事をして、家庭をもって、子供を育てながら生活しなければなりません。新型コロナの問題がなくても、大学を志望する本人はもちろんのこと、高額投資をしなければならない保護者の方もこのような高等教育をして欲しいとか、大学はこうあって欲しいとかという声を揚げなけらばならない時期に差し掛かっていたのではないかと思います。まして、ウィズコロナ、ポストコロナで社会が大きく変わっていくときです。 
 本連載は、今大学がどのような状況になっているのかを明らかにして、なぜそうなったのかという原因を追究し、このような大学でこそ教育を受けさせたいと思うような大学にするためにはどう改革・改善すればよいのかということを提案します。大学の改革はまず大学がその必要性を認識することが大事ですが、大学だけで改革することはできません。文科省、財務省、政界、経済界、社会の協力が不可欠です。そして、なによりも受益者となる大学志願者、保護者の方が声をあげることがもっとも大事なことになります。
大学の危機の正体 
 新型コロナが流行する前から、日本の大学が危機に瀕しているという話題があちこちで取り上げられています。取り上げられる危機の中味はそれぞれ違い、例えば、「地方や小規模大学が定員が充足できずに経営破綻する」、「大学がレジャーランド化している」、「大学の基礎研究予算が不足し今後は日本のノーベル賞受賞は期待できない」、「教育が十分行われず教養も知識もあまりない学生を卒業させている」、「人工知能(AI) やビッグデータなどデジタル時代に対応できる人材を養成していない」、「中国、香港、シンガポールの大学よりレベルが低下している」などさまざまな大学に対する批判に対応できていないことが危機といわれるようになっているようです。
 一方、日本の社会は徐々にではありますが終身雇用主義から実力主義に変化していっています。前にも述べましたが、大学を卒業して4月に一斉に会社へ入社しても、3年間で3人にひとりは退社してしまうという現実があります。退社後は次の就職先が運よく見つからなければ非正規社員のままで生活しなければならない場合も現実になっています。今年のように新型コロナの流行で経済が悪化すると、会社は一斉に新卒の採用数をしぼり始めます。大学入学前にはまったく予想していなかったことが卒業のときに起きるわけです。リーマンショック時にも同様のことを経験しているにもかかわらず大方の人は根強い学歴信仰に囚われています。とくに、大学卒業生を採用する大企業などは、大学においてなにを学んできたかというよりどの大学に合格し卒業したかということに関心をもっているようです。もっとも、受験生自身はもとより、その保護者にとって4年間の大学の学費と生活費が前にも述べたように、生涯のなかでマイホーム購入に次ぐ投資になるので、勢い大学選びは慎重にならざるを得ないし、また、受験準備費用まで入れると経済格差が進学先を決めるときに大きく影響してくることも事実であります。このような状況のなかでは、大学でなにを学ぶかということよりも、どの大学に合格できるかという入試にかかわる情報が大きな商業的価値をもってくるのは当然であり、いわゆる受験産業がはびこる理由にもなっています。
 文科省も、旧文部省時代より大学などの高等教育についての問題を放置していたわけではなく、法律や省令の改正、行政指導、予算誘導などを通じて大学の改革をうるさいぐらい促してきています。ただ、大学は行政官庁の出先とは違って、国立大学に対してさえも大学の自治と学問の自由を尊重するという建前を崩すわけにはいかないので直接文科省の指示に従うように強制はできません。したがって、旧文部省は1987年以来、審議会に文部大臣が諮問し、その答申を得てさまざまな改正を行うという手順を踏んできてます。このスタイルは2001年(平成13年)の省庁再編に伴って中央教育審議会(以下中教審)の大学分科会がこの役目を引き継いで現在に至っています。審議会の委員や議論の経過などは原則として文科省のホームページに公表されることになっています。また、国立大学については各国立大学の学長で構成される国立大学協会(以下 国大協)にも審議会における議論の経過や結論などが報告され、一方的ではありますが各国立大学への根回しをしている形になっています。また最近では、審議会の答申についてはパブリックコメントなども受けるなど一見して民主的な手続きを経ていますので、その答申を踏まえた大学設置基準の改定や省令の変更などについては大学の自治を標榜する大学でも従わざるを得ないようになっています。文科省だけではなくどこの省庁でも同じなのですが、実は外部から民主的と見えるこの手順が問題なのです。文部大臣は行政の長であるとともに政治家でもありますから、当然、政治的に社会や経済の要請に応えた諮問となることがどうしても多くなります。このような行政の長からの諮問に対して審議会では必要な場合には専門家による部会を設置して詳細な議論をすすめることが普通ですが,もともとこの方向の結論を出したいというなかで官僚が資料を準備し、また委員長もその意を汲んで議論をリードすることになります。審議会のための資料を見ますとさすがに優秀な官僚が準備しただけあってよく調査されたものが提出されます。しかし、先に結論ありきの審議会ですから反対意見を強く表明するような委員は最初から任命されていません。文科省の場合は、有識者とされる委員は教育の専門家もいますが経済界をはじめとして名前で名前の通った権威者や時の人として人気がある人が任命されることがあります。その結果、これらの委員の思い付きの意見とともに文科省が目指した方向の理想的でかつ格調の高い答申がなされることになります。教育関係者が委員として任命されているといっても学長やそれに近い役職者ぎなどであり、実際に大学の教育現場で苦労している教員などは委員に任命されることはありませんので現場の意見などが反映されることはほとんどありません。したがって、答申やに基づく文科省の改革案を大学の教育現場に下すと、大学が上位下達の組織でないこともあって学部教授会の反対の意見が出るなどしてなかなか文科省の意図に沿うような改革実行が円滑に進まないのが実情です。すると文科省は次の諮問を審議会に対して行い、再び答申を得て法律や省令の改正をするということを矢継ぎ早に現在まで繰り返してきています。政府の審議会というものはどこの省庁でも似たようなものでアリバイ作りに過ぎないとあきらめるのもひとつの考えですが、関係者にとっては大きな影響を受ける場合もあります。たとえば、有識者による入試改革に関する審議会の答申を経て、2021年(令和3年)から開始するはずの「大学入学共通テスト」の英語試験における民間資格・検定試験の採用を2019年(令和元年)の秋になって文科省は突然に実施の撤回を決めました。地方やへき地の受験生に対して経済的にも不公平になるからという理由です。準備していた約50万人の受験生にとっては今になって中止とは肩すかしを食ったに違いありません。また、記述式試験についても実施を延期することになりました。採点期間が短いため公平な採点が難しいとの理由ですが、数年かかって審議会で議論して検討していたにもかかわらずです。入試センター試験がマークシート式の記憶中心の試験になっており思考力・判断力・表現力を問う試験にしたい、英語については読む・聞く・書く・話す力を問いたいという目的は正しかったのですが、民間力をできるだけ利用という政治的な動きに対して実施面での検討が十分でなかったというのはお粗末な顛末のようです。このように、有識者による審議会での答申といってもそのまま鵜呑みにしない方がよいという見本のように見えます。
 本連載では、大学の賢い選び方をするためにも、大学の危機の本質が一体どのような危機であるのかをまずはっきりさせたいと思います。そのためには日本の大学を取り巻く環境について統計的なデータを活用してできるだけ客観的に明らかにしたうえで、どのように対処して個々の危機を食い止めることができるのか考えてみます。大学は確かに危機を招いた当事者ではあるが、いまの危機をもたらした責任は大学だけではありません。高等教育を規制緩和の名のもとに商業化(市場化)してしまった政治と行政(文科省と審議会)、自企業の都合にだけ合わせた人材養成を要求する経済界、そしてさらに相変わらず学歴にこだわる社会にも大きな問題があります。つまり、大学の危機を脱するためには大学だけの努力だけに期待してもどうにもならないところに差し掛かっています。
 日本の国公私立大学の現在の入学定員や約60万人です。私立大学が約48万に、国立大学が9万六6千人、公立大学が62万9千人です。私立大学が入学定員の約980%を占めるわけです。私立大学は創始者の建学の精神を掲げた大規模大学から、短期大学から衣替えした小規模大学まで含め804校(2017年度)があります。これに対して公立大学は90校、国立大学は86校(同年度)となっています。私立大学では入学定員総数の約38%、約23万人が人文・社会系、いわゆる文系の定員でありますが、国公立大学では約2万8千人(4.6%)に過ぎません。逆に、理学・工学・農学など、いわゆる理系の入学定員は私立大学では5万四4千人(9%)、国公立大学では3万四4千人(5.6%)となっています。「大学の賢い選び方」となれば私立大学、しかも文系・社会系について多くの議論をしていかなければならないのですが、私立大学は前に述べましたようにあまりにも多様であり、残念ながら一概に議論することは難しいようです。著者の経験が
国立大学の工学系でもあり、国立大学を中心に話しを進めることにします。科学技術の進展なくしては日本の発展もありません。この分野は国際的に競争が激しいのですが、日本の大学が先導してその役割を担わなければならないのは当然のことであります。なかでも、理工系の比重の高い国立大学についてはとりわけ頑張ってもらわなければなりません。
 大学危機論はほとんどが社会科学者など文系の人による執筆が多いのですが、本連載では、国立大学、しかも理工学分野を中心にしながら、日本の大学の直面する問題を明らかにして、その解決策を探ってみたいと思います。提案する改革、改善策が実施できた大学が志願者や保護者の方に選んで頂きたいこ大学となります。

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