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あえて使いたい漢字もある〜表記統一の是非

メディアには表記統一というものがあります。

昔は新聞での表記が基準になることが多く、『共同通信社記者ハンドブック』などは最もよく利用されるお手本です。

新聞は義務教育を受けた人なら誰でも読めることを基準にしているので、汎用性が高く、新聞以外のメディアでも基準にすることが多かったのです。

しかし、Webメディアは横組みのため、縦組みを前提とした従来の新聞の表記では読みづらくなることも多々あります。

また、Webメディアは雑誌に近く、ターゲットが細分化されていることが多いため、ターゲットに合わせた表記にしている場合がよく見られます。若い女性層向けてあれば、やわらかい表現が使われるし、高収入のビジネス層向けであれば、より専門性の高い用語が使われます。

現在のWebメディアは、配信する本数が多いこともあり、表記統一を厳密に定めているメディアは少ないです。最低でも1記事の中で統一されていればいいくらいのゆるいところも多いでしょう。要するに読者にとって読みやすければいいのです。表記統一にあまり神経質になって時間を費やすなら、より面白い記事になるように注力したほうがいいということです。

私もライターとしてさまざまなメディアで書いていますが、たとえ表記統一があってもメディアによってバラバラなので各メディアの表記統一をいちいち気にしていたらきりがありません。

週刊誌や月刊誌など特定のメディアの編集をしていたときは、メディア毎の表記統一がありました。しかし、Webメディアでは、自分で表記統一を作成して、自分が一番しっくりくる表記で統一して書くようにしています。それであれこれ言ってくるメディアはまずありません(とはいえ実際は8割くらいはどのメディアも共通しています)。

ひらがなにすれば読みやすくなるわけではない

ただ、ときに独自の表記統一にこだわるメディアもあります。ガラパゴスのようにあまりに独特で、その根拠もわからないことが多いのですが、やはり表記統一をするには「読みやすいかどうか」の基準と、その根拠もないとなかなか頭に入りません。

文章は、よくひらがなと漢字が7:3の比率が一番読みやすいと言われます。確かに基本的にはそれくらいの比率が妥当だと思います。意味もなく比率だけにこだわったり、闇雲にひらがなが増えても、かえって読みにくくなることがよく起こります。

たとえば下記のように統一しているメディアがあります。

面白い⇢おもしろい

汲みとる⇢くみ取る

自ら⇢みずから

主に⇢おもに

触れる⇢ふれる

潰す⇢つぶす

一瞥⇢一べつ

一蹴⇢一しゅう 

一緒⇢いっしょ

漢字をなるべく使わないようにする方針は理解できます。

しかし、形容詞や動詞の漢字にはさまざまな意味が込められているので、闇雲にひらがなしてしまっては、ただの記号になりかねません。無味乾燥な素っ気ない文章になってしまう恐れがあるのです。

漢字は世界でも稀な表語文字です。一語にさまざまな意味を持ちます。これはアルファベットにはない特徴です。「漢字=読みづらい」ではないのです。

上記に挙げた「面白い⇢おもしろい」ですが、この語源をご存知でしょうか。

「面白い」という言葉自体は古くは万葉集でも使われていますが、現在使われている意味での「面白い」が浸透したのは、明治以後からだそうです。

その語源は諸説ありますが、最も定着している説は、囲炉裏説です。

遠い昔、囲炉裏を囲んで話をしていたました。みんな勝手にいろいろしゃへるのですが、みんな聞きながら火に手をかざして下を向いています。やがて誰かがとても興味深い話を始めます。すると、みんなが「え?なにそれ?」と、一斉に顔を上げて聞き入るのです。上げた顔が火に照らされて白く映り、楽しそうな顔が並びます。そんな光景が「面(顔)が白い→面白い」と言うようになったという説です。

他にも、楽しい気分は心に強く感じられて残るという「思う」「著(しるし)」から転じた「思著説」や、気心が知れた顔見知りと過ごす楽しい気分を表した「面知説」、笑いすぎて窒息して、顔面蒼白になる状況を表した「窒息説」、そして、厚化粧をした女性の顔が真っ白な様子を笑ったという「化粧説」など、さまざまな説が残っているようです。

ちなみに「面白い」の反対語として「面黒い」という言葉が出てきた時代もあったそうですが残念ながら残っていません。現代でいう「マジ卍」や「よいちょまる」といった言葉と似た扱いだったのかもしれません。

そもそも、「面白い」が読めない人はほとんどいません。こういう言葉をあえてひらがなにする意味がどこにあるのでしょうか。「おもしろい」では、その意味を考える余地もありません。漢字には、こんなにいろいろな諸説が生まれるほど深い意味が含まれているのです。

常用漢字表では「面白い」は漢字のまま閉じていますが、常用漢字表には「あいさつ」「いす」「いちず」「しゅん工」「ふさわしい」「見いだす」「むなしい」など、むやみにひらがなを推奨している傾向が強い気もします。

たとえば、「汲みとる⇢くみ取る」はどうでしょうか。

「汲む」には、Wwblio辞書によると以下のような4つの意味があります。

① 水などを柄杓(ひしやく)・桶(おけ)などですくって取る。また、水道などによって容器にうつし入れる。 《汲》 「バケツに水を-・む」 「ポンプで井戸水を-・む」 「山清水-・みに行かめど道の知らなく/万葉集 158」

② 酒・茶などを飲むための器に注ぎいれる。また、それを飲む。 「お茶を-・んでまわる」 「沛公酔て坏を-・むに堪へず/太平記 28」 〔酒の場合は「酌む」と書く〕

③ (多く「酌む」と書く)事情・気持ちなどを好意的に解釈する。斟酌(しんしやく)する。 「意のあるところを-・む」 「少しは人の気持ちも-・んだらどうだ」

④ 思想・流儀・系統などを受け継ぐ。 「カントの流れを-・む学派」

たったひとつの漢字に、これだけの意味が含まれているのです。これを「くみ取る」としてしまうなんて、ナンセンスだと思いませんか? ここで使う「取る」にはたいした意味はありません。「とる」で十分です。あえて漢字に直す意味はありません。「汲む」がひらながなになることで一瞬「組む」も思い浮かべる人もいるかもしれません。もったいない!

あるいは、「一瞥⇢一べつ」はどうでしょうか。

確かに難しい漢字です。この漢字を書ける人はほとんどいないでしょう。読めない人もいるかもしれません。

でも、これを「一べつ」としたらどうでしょうか。ますます意味が不明になりませんか。「瞥」には「ちらりと見る」という意味がありますが、「いちべつ」には「一別」という違う意味の言葉もあります。文脈によってはどちらの意味か一瞬わからないことも起こりえます。もし、「一瞥」が難しいから避けたいのであれば違う表現にすればいいだけです。

たとえば、芥川竜之介の『煙管』にこんな一節があります。

「襖ごしに斉広の方を一瞥しながら、また、肩をゆすってせせら笑った・・・」

難しくて読めなければ、 「襖ごしに斉広の方をちらっと見ながら、また、肩をゆすってせせら笑った・・・」とでもすればいいのです。

上記の例はすべて私自身が、実際に表記統一にしたがってひらがなに書き直された言葉です。

日本語には同音異義の言葉がたくさんあります。

たとえば「さす」。

刺す、射す、指す、挿す、差す、点す、注す、などがあります。これをどんな意味でも使えるからといって「さす」と最大公約数にしてしまっては、書き手の意図も死んでしまうでしょう。

状況や文脈によっても、伝えたいニュアンスによっても、どの「さす」を使うか変わってきます。これがひらがなの「さす」では細かい状況描写ができなくなります。

繰り返しますが、「漢字=読みづらい」「ひらがな=読みやすい」ではないのです。

私は作家ではないので、メディアの方針に沿っていかようにでも書きます。ただ編集者が表記統一をするのであれば、その一語一語がどんな意図で漢字にするのか、ひらながにするのか自問自答すべきでしょう。意味も考えずに自動的に「漢字⇢ひらがな」の変換をするのは編集者の仕事ではありません。それならWordにやらせればいいだけです。

ライターが文章を書く場合も同様です。自分が使う言葉にどんな意味が込められているのか熟考しながら書いてほしいと思っています。一語一語の漢字にどんな意味があるのかを考えながら文を紡ぐーーそうすることで、きっとより味わい深い文章に近づき、書くこともより楽しくなるに違いありません。


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