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政治家のプレゼン力を見る〜最悪のプレゼンターは誰だ?

新型コロナウイルス絡みで首相、知事たちの記者発表が連日続いています。有事になると、政治家としての資質と真価が顕になります。そこで今回は、東京都・小池百合子知事、安倍晋三首相、北海道・鈴木直道知事、千葉県・森田健作知事の代表的な4人の政治家をプレゼン力の面から考察したいと思います。

“プレゼンの神様”との異名を持つ澤円氏は、インタビューで「“幸せ”を与えることがプレゼンの根本的な存在意義で、プレゼンにはビジョンと核がないとどんなに言葉を並べても何も伝わらない」と言います。

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以下、澤氏のインタビュー記事からの引用です。

「相手をハッピーにする」プレゼンをするためには、「ビジョン」と「核」の2つがあります。「ビジョン」というのは、「自分を正しく導いてくれる北極星」という言い方をしています。何をもってどのようにハッピーと定義するのかを、自分が理解できるようにする道標(北極星)が「ビジョン」です。誰をどのようにハッピーにするのかというのが、自分が理解して言葉にする。
(中略)
「ビジョン」は自分が理解していればいい。でも、今度はプレゼンテーションをするときに、言葉に落として相手に知ってもらわないといけない。それが「核」になります。シンプルな言葉にして、具体的に誰がどういうふうにハッピーになるかがわかるようなストーリーに固めて渡してあげる。それが「核」です。

そこで「ビジョン」と「核」という観点から政治家たちのプレゼンを見てみましょう。

■小池知事にビジョンはあるか?

まず小池百合子都知事。

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ちなみに私は小池百合子都知事が大嫌いです。横文字と広告コピー紛いのキャッチフレーズを連呼し、衆愚政治で都知事選に当選したものの、欲張って「希望の党」というハリボテ党で「12のゼロ」などと、できもしない妄想公約を掲げて大コケして、挙げ句には「排除」発言で自滅する始末(この「排除」という言葉は記者の質問をうかつにも復唱しただけなので同情しますが)。その後も「朝が変われば毎日が変わる」「時差Biz」「都民が決める。都民と進める。」「都民ファースト」「築地は守る、豊洲を生かす」などなど、実体のない薄っぺらい広告的コピーを連呼する口先だけのペテン師だと思っていたからです。

しかし、小池知事の発言はいつも数秒でメッセージを伝えなければならない広告コピーに倣っているだけあって、今回も「3つの密」と十八番のキャッチコピーが使われました。以前から新型コロナウイルス感染の可能性を高くする密集、密着、密閉を避けることが肝心だということは報道でも逐次伝えられていましたが、これを「3つの密」という韻を踏んだ短いダジャレコピーに集約したことでメッセージはパワーアップしました。もし糸井重里の萬流コピー塾(古い!?)に投稿していたら合格点をもらえたかどうかはわかりませんが、そこそこ評価はされていた気がします。「3つの密」は今回、核としての役割をある程度果たしていると思います。

では今回、小池知事が示したビジョンとは何だったのでしょうか。

察するに「2021年の東京オリンピック・パラリンピックまでに、新型コロナウイルスに打ち勝つ」でしょう。いち早く2021年7月23日の開催に決まったと伝えたのも、ビジョンを明確にするのに大きく役立ったことでしょう。

これは一見、澤氏の言う「“幸せ”を与えることがプレゼンの根本的な存在意義」に当たるビジョンに見えるかもしれません。しかし、ここには重要な一点が欠けています。「自粛に伴う補償」という具体的な代替案です。とはいえ、これは国が示さなければ都知事だけの権限だけですべてを動かせるわけではないので致し方ないのかもしれません。

ビジョンが弱いため核の意義も弱くなってしまっていますが、少なくとも記者会見での小池知事からは自分の言葉で話そうとする姿勢は伝わってきます。これはプレゼンにおいてとても重要です。丸暗記した宣伝文句を空で話されてもまったく心に響かないのは、そこに主体が存在しないからです。パペット人形にしか見えないからです。

そういう意味で、小池知事は用意された原稿を読むときも、都民に語りかけようとする姿勢は忘れていないように見えます。

■器の小さいパペット人形の安倍首相

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それでもやはり小池知事からは明確なビジョンは見えてきません。その最大の要因が安倍晋三首相です。なぜなら東京という国の心臓である首都は、国がビジョンを示さなければ動きようがないからです。安倍首相から発せられる言葉は、原稿を読もうがプロンプターを読もうがいつもパペット人形のようです。安倍首相のモノマネ芸人のビスケッティ佐竹が送るメッセージのほうが、安倍首相本人のエッセンスを抽出しているだけにその“核”が伝わってくるほどです。

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イギリスのボリス・ジョンソン首相の声明が世界中で高く評価されたのは、魂がこもった演説だったからでしょう。きっとカメラの前のプロンプターを読んでいるとは思いますが、それでもあの力強い話し方とまばたきすらしていないように見える鬼気迫る表情が人々の心に訴えたのだと思います。

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多くの論者・識者が指摘するように、安倍首相は他人事のように「補償なき自粛要請」のメッセージしか送らないため、国民の間に困惑が広がり、一致団結どころかコンセンサスが得られないまま不安ばかりが拡散しています。

ビジョンも核も見えない安倍首相の記者会見。まさに「仏作って魂入れず」の見本です。クール&ポーカーフェイスを貫徹すればそれもまた美学ですが、昭恵夫人のレストラン花見を追及されただけで逆ギレする器の小ささをまたもや露呈。「自粛要請した公園じゃないから問題ない」との言い訳(屁理屈)はまさにジャン=ジャック・ルソーの『告白』に出てくる「パンがなけりゃケーキ食えばいいだろ」という選民思想の台詞と重なります。「公園での花見がダメなら高級レストランで花見すりゃいいだろ」という理屈です。阪神の藤浪投手がコロナにかかったホームパーティも、何人が集まろうと「3つの密」であろうと「公園じゃないからいいだろ」という言うわけです。

■ビジョンと核を示した鈴木直道知事

そして、日本でいち早く対応策をとったのが北海道の鈴木直道知事。彼は「緊急事態宣言」という、夕張市長時代に培った大胆な政策に打って出る勝ちパターンを発動し、とりあえずは危機的状況を収拾しています。鈴木知事の素早い対応は、国や東京都がいきなりやって武漢みたいになってはダメージが大きいので、まずは北海道で“実験”のための噛ませ犬として国に利用されたという声もありますが、今回の北海道の措置の結果を見て安心したのか、国や東京の動きは北海道の後追いをしているようにしか見えません。実際、新型インフルエンザ等対策特別措置法改正に向けた動きが本格化したのは、北海道の「緊急事態宣言」の成果を見てからのことでした。

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では、鈴木知事のビジョンと核は何だったのでしょうか。

鈴木知事はもともと財政破綻した夕張市の市長に“日本一の安月給の市長”として就任。市政の改革で実績を残した後も市民からの「給料を上げてやれ」という声にもかかわらず、就任中の8年間ずっと据え置きにこだわったという武勇伝が残っています。その実績をぶら下げて北海道知事になったわけですが、彼のビジョンはまさに夕張市再生の道筋をつくった活動内容と実績が示しています。 

そして核となったのは、今回の緊急事態宣言において「政治判断の結果責任は私が負う」と言い切った、その腹をくくった力強い言葉でしょう。新型コロナウイルスは前代未聞の歴史的惨事であり、どんな策をとってもリスクを負う可能性を秘めています。道民の不安を信頼に代えたこの一言は政治家に欠かせない核と言えるでしょう。

■酔っ払いタコの森田健作知事

そして、最後に千葉県の森田健作知事。森田知事は私にとって人生初の憧れのアイドルでした。幼少の頃に見たドラマ「おれは男だ!」ですっかり虜になり、私は森田健作みたいになりたくて剣道を習い始めたくらいです。初めてファンレターを送ったのも森田健作でした。

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しかし、しかし、知事としての森田健作は私がかつて憧れた「おれは男だ!」の森田健作ではありませんでした。昨年の台風時における目が泳ぎまくった言い訳がましいしどろもどろのダラダラ会見には心の底から失望しました。

そして、今回の記者会見。用意された原稿を読み上げるだけの棒読み会見。あなたは俳優ではなかったのか!?  政治手腕はともかく、俳優であったのなら、せめて「男」を演じてほしいものです。あえて「男らしさ」という言葉を使わせてもらいますが、私が「おれは男だ!」で憧れたあなたの「男らしさ」はどこへ消えてしまったのでしょうか。

小池都知事は原稿を読むとき、どっしりと構え都民に語りかけるような話し方を心がけています。侠気すら感じます。一方、森田知事は用意された原稿を読むとき、常に頭と身体がゆらゆら揺れて、まるで酔っ払いのタコです。こんなタコみたいな“芯がない人”にビジョンと核を求めるのは酷でしょうか。否、ビジョンがないから、“タコ政治家”を演じるしかないのかもしれません。記者会見のたびに、背後で千葉県のキャラクター・チーバくんにあっかんべえをされてナメられるのも仕方ありません。たとえ時代錯誤と言われてもいいので、せめて「おれは男だ!」と胸を張って背筋をしゃきっと伸ばして剣士のごとく指揮を執ってほしいものです。

最後にカリスマプレゼンターの澤円氏の言葉をもうひとつ紹介します。

伝わらないプレゼンは、間違ったことを言っているから問題というわけではないんです。正しい情報であっても良いプレゼンになるとは限らない。正しい情報を伝えようとしすぎると、プレゼンはつまらなくなるんです。
僕はよく「使用説明書の朗読」にたとえるのですが、電化製品を買っても使用説明書を隅から隅まで読みませんよね。読み上げてもらっても楽しくないですよね。でも、あれは正しい情報の塊です。全部正しいです。電化製品を使うなら、使い方を知ることは重要です。だけど楽しくない。「ハッピーか?」と問われれば、ハッピーじゃない。
プレゼンは正しい情報を伝えることよりも、ハッピーになる情報を伝えるほうが重要です。「間違ったことを言ってもいい」と言っているのではなくて、正しい情報を伝えようと突き詰めすぎると、実は全然プラスに働かないことを認識しないといけないという意味です。

私たちに「使用説明書を朗読する」だけのリーダーは要らないのです。

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