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あの日

(※当時のツイッターを検索できたので載せてみます)  

2011年3月11日。東日本大震災。津波。原発事故。あれから10年。
節目ということで、当然ですがたくさんこれらの言葉を聞きます。
未だに多くの人々にとって深い悲しみ、苦しみが襲いかかっていることを思うと胸が痛みます。

私の人生にとっての10年はとても長いですが、こと震災の記憶となると10年という感覚ではなく、本当に「つい最近」の出来事のように、心にかさぶたのごとく残っているようです。でも確かに10年が経っている。不思議な感覚です。

10年前、私は26歳。
震災当日は、コロッケ工場でバイトをしておりました。午後の作業も中ほどに差し掛かり、早く終えて家に帰ろう!なんて言っていたと思います。そんな最中に大きな揺れが襲いました。感覚としては5分以上も揺れていたんではないか?と思うぐらいでした。
近くの公園に避難し、しばらく余震に備えていましたが、工場内の安全確認が取れた、ということで止めていた作業を再開しました。

その後、作業を終えたのが19時頃でしたでしょうか。

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情報を遮った環境だったので、世の中がどうなっているかなんてことを知らずにいた私は、その後、帰宅してから見たテレビのニュース映像に、愕然としました。
辛いニュース、緊急地震速報の音…。その日はショックでなかなか眠れなかったと思います。

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翌日(3月12日(土))の出来事は、忘れられないです。原発事故です。
私はカーラジオでその情報を聞きました。「これは本当にまずいことになったぞ」
その後に見た映像は脳裏に焼きついております。

と、ここまでの記憶ははっきりしているのですが、3月13日(日)の記憶がはっきりしていないのです。ただ覚えているのが「公共広告機構(現・ACジャパン)」が多くて、トラウマになりそうでした。

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3月14日(月)。この日の記憶ははっきりしています。というのも、当時初めて担わせていただいたバラエティ番組のテレビナレーションがありまして、その収録日が月曜だったのです。
しかしテレビはその日もバラエティ番組は一切放送されておらず、全局報道特別番組だったのです。
とりあえず収録はする、ただ放送されるかはわからない、というなかで収録に向かいました。

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出かける準備をしていたときに流れた「福島第一原発3号機爆発」のニュースも、記憶にくっきりと残っていました。一体、この国はどうなるのだろうか、と…。
移動の電車では、おそらく東京から避難しようとしていたのでしょう、大荷物を抱えた家族連れがいたのを覚えております。

「こういう時にエンターテイメントって必要なのかな」と自問自答したり、悲しいニュースに心を痛めており、正直収録が不安でした。しかし、現場で映像を見ていたときに「あ、バラエティーってこんなに楽しいんだ」と、心がほぐれていく感覚がありました。エンターテイメントって、必要だ、絶対に、と確信しました。
ちなみにその番組は放送されました。

あれから10年。私個人としてはテレビナレーターとして空白の時間もあるので、10年ではなく圧縮して”5年”という認識なのですけど、確実に10年前にはそういう出来事があったことは事実です。一生忘れないでしょう。

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