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最悪の時期に学んだ最高の生き方(パニック障害克服記)【前編】

忘れもしない2018年2/18

僕はパニック障害を発症した。



それは福岡に向かう飛行機の機内だった。

旅行が趣味で後輩が福岡に帰省しているタイミングでアテンドを頼み、一泊2日の旅行に向かおうとしていた。

成田空港でいつもの様に搭乗手続きを済ませ、コーヒー片手に読みかけの本を開き離陸を待っている。

なんのこともない、いつもの光景だ。

機体は徐々にスピードを上げながら浮遊し、旅の始まりを感じさせる。
高度も上がり機体も安定してシートベルトの着脱許可が降りる。

福岡までは約一時間半ほど。

初の福岡に胸躍らせながらゆっくりしよう。


集中力も少し途切れてきたので、本をおき窓から外の景色を眺めた。

その時だった....

ドクン、、


猛烈な恐怖感が下から込み上げてくるのを感じた。
心臓の鼓動は高鳴り今にも飛び出しそうなくらいに感じる。
汗がドッと湧き出て、その恐怖感に今にも叫び出しそうな欲求に耐えていた。

なんだ?なにがおこったんだ?

尋常ではない事態が起きているのは容易に想像できる。
だが今までの記憶を総動員して考えてもこんなことは今までに経験がない。

目を瞑りひたすら自分に言い聞かせる。

落ち着け、、大丈夫だ、、落ち着け、、、

言葉ではそう言い聞かせているが内心は恐怖と不安で渦巻いている。
とにかくなにがなんだか分からない。
滴り落ちる汗をふき、乱れる呼吸を正す。

横の乗客に自分の状況を気づかれまいと必死に平静を装っていた。

時間の感覚もよく分からない、、早く終わってくれ、、早く元に戻ってくれ、、

その時の記憶が曖昧なのだが、15分くらいで少し落ち着いてしばらくするとまた波が押し寄せる。
それを繰り返していた。

僕にできる事はただ目を瞑り深呼吸することだけだった。


そこで機内アナウンスが着陸体制に入ると伝える。
やっと降りれる。。
そう思った瞬間に憑き物が取れたように恐怖感がスッと引いていった。

動悸も治まりさっきの出来事が夢かのように感じる。

なんだったんだ今のは、、

その時はなんの知識や前情報もなかったので突発的に起こった体調不良のようなものだと思っていた。
実際に福岡空港に着いてからも特になにも変わりなく、気持ちの沈みみたいなものも感じられない。

その後の旅行は予定通りに進んだ。

でもこれは行きの出来事。

そう、帰らなければいけないのだ。

帰りはもう乗る前からとんでもない緊張感に包まれていた。あの恐怖と不安の記憶は鮮明に刻み込まれていた。


出発ロビーで搭乗を待っている時から脇から汗が滴るのを感じた。
手汗のレベルは紙を握ったら一瞬でボロボロにできるアセアセの実の能力者だ。

気持ちを落ち着かせる為にアイスコーヒーをがぶ飲みする。(後にこれも逆効果だった事をしる)
そして気を逸せてようと空港で購入した忘れられない一冊、落合陽一の『日本再考戦略』を読む。


(大丈夫だ、いややばいかもしれない、いやなんとかなるだろ、もしやばくなったらどうしよう、死にはしないだろ、横の人はどう思うだろう、でも乗るしかねぇしな)

頭の中で渦巻く思考は全くゴールを設定できず回遊魚の如く大海原を泳ぎ回る。

離陸が始まって本に目を落としたが誇張なく一文字も頭に入ってこなかった。


恐怖と不安をただひたすら大丈夫というなんの信憑性のない言葉を頭でリフレインしながらただただ時が過ぎるのを待つ。

行きと同じ工程を繰り返しながらなんとか帰ることが出来た。

しかし、この日を境に色んな場所で同じ症状が出ることになる。

これが最悪の時期の始まりだった。


まずは定番の電車だ。


急行などの次の駅との間隔が長いものと地下鉄がまずダメになった。そして人の多い朝のラッシュ。

特にダメなのが駅と駅の間で時間調整のための一時停止。

これはパニック症経験者なら分かると思うがいつ動くのか分からない状況が死ぬほど恐怖だった。

時間で見てみればたかだか1.2分の停車なのに、これが無限に感じるのだ。
毎日同じ路線を使っていると停車する位置がわかってくる。
だからその場所に着く前は心臓が張り裂けそうなくらい緊張していた。

一度その場所に着く前の駅で降りて心をリセットしようとしたことがあった。

しかしこれが最悪の選択だった、、

恐怖や想像というものは時間が経つとどんどんと膨らんでいく。


一度降りてホームで電車を待っている間に恐怖心が大きくなり過ぎてしまい、その後の電車に乗る事が出来なくなってしまったのだ。


翌日も一度降りる事を学んだ脳は恐怖の二文字に勝てなくなってしまった。

その日からその駅で降りて次の駅まで15分かけて歩き、また電車に乗るという負のルーティンが完成した。
その為に家も15分早く出なくてはいけないし、逃げたという意識で自己肯定感も爆下がりしていった。

電車乗れないという事は当然バスにも乗れない。

パニック症を知らない方に軽く説明しておくと、基本的に自分の意思で行動出来ない場所や乗り物に異常な不安感が発生する。
公共の乗り物や圧迫感のある場所(地下や狭い空間)人混みなどに行けなくなる。

ご飯屋さんもダメになった。
一度注文したら食べ終わるまでそこから出れない。

他には美術館、高層階の家、出口の分かりずらい施設(デパートとかドンキホーテ)、行った事のない場所、人の多いイベント、会議やミーティングetc...

日に日に行く所が限られていく。

自分のアイデンティティがどんどんブッ壊れていく感覚だった。

元々は旅行が大好きで行った事ない場所に行くとにワクワクするタイプだった。
ライブやフェスも大好きだったし美術館巡りもよくしていた。

休日に家にいる事はあまりなく、電車で知らない駅で降りてブラブラ散歩するのが好きだった。
夏は花火に行きたいし、海にも行きたい。

でも長距離の電車に乗る事も出来なければ、人混みに行くことも出来ない。
知らない場所に行くのが怖い。

今まで好きだったものが全て反転して苦手なものに変わっていった。


鳥籠がどんどん小さくなってどこにも行けず閉じ込められているような感覚だった。

友人に遊びに誘われても何をするのか、何処に行くのかで行けるものといけないものが出てくる。

適当な理由をつけて断わる事が増えていく。

ある程度理解を示してくれた人としか遊びにいけない。

それでもまだなんとか普通を装っていた。

でも1日の大半の思考がパニックに関する事に埋め尽くされていった。
楽しい事やワクワクすることなど考えられない。
1日をどう凌ぐかしか。夜には明日の朝の通勤の事がチラついてくる。

今思うとよくこんな状態で過ごしていたなと思う。

日に日に症状は悪化していた。

そしてついに家すら出れない程に、、。

悪化する症状をなんとかこなしながら日々に追われている最中やってきたのはコロナ騒動だった。

この3年間の事は皆さんも重々承知だと思うので割愛するが、僕自身の話しでいうとまず仕事が2ヶ月休みになった。

外に行ける空気でもなかったので家でひたすら本、漫画、YouTubeの毎日。
給料も出るか怪しい状況で節約の為自炊しながら、暇すぎて昼からビール飲んだりしていた。

人にも会えずやる事もない。

これが相当ストレスだったんだと思う。

この頃から夜散歩にしているだけなのに妙な不安感を感じるようになっていた。
昼に買い出しで外に出ても変な息苦しさを感じる。

そして仕事が再開されてまもなく、仕事中にもパニックの症状が出るようになってしまう。

今まではまだ通勤を乗り越えればよかったものが、仕事中まででてしまうともう本当に逃げ場のない気分だった。

何もない場面で涙が出るようになっていた。
訳もなく涙が溢れる。
朝職場に行く気になれず予約が入っていなければ休みがちになる。


もうダメだと思った。限界だった。


あの通勤を乗り越えて仕事をこなして一日を乗り越える気力はもう僕にはなかった。

僕は仕事を休職することにした。

この頃はもう適応障害も発症していたように思う。
もう何も考えられない。とにかくもう無理だとしか思っていなかった。

そこから僕は2ヶ月程家に引き篭もる。

始まりの2週間程の記憶があまり無い。

何をしていたんだろう?ただただ時間が過ぎるのを感じている。いや、感じてもいない。

空虚とはこういうものなのだ。

何も出来ない。

風呂に入るのさえも怖くて仕方なかった。

食糧の買いだしにコンビニやスーパーに行って列に並ぶのも恐怖でしかなかった。

朝は動悸で目が覚めた。

昼もずっと動悸がしている。

夜が深まり暗くなってくると世界が全て暗く見える。

どうなるんだろう?どうすればいいんだろう?

何年かぶりに母親に電話した。

「どうしたの?急に?」

その声を聞いた瞬間から涙が止まらなくなった。嗚咽するほど泣いた。

弱みを見せたくないと必死に強がって生きてきた。

この時何を話しのかは全く覚えていない。

覚えているのは「いつでも帰ってきなさい」

その一言だけだった。


それくらいからこのままではいけないという思いにかられるようになった。
こんな状態で人生を終わりたくない。
まだやりたい事は沢山残っている。

時間は充分あった。

だからまず徹底的に調べることから始めた。
改善方法を。
Google検索、本、ツィッター、ブログ、音声メディアetc....

ありとあらゆる情報を仕入れた。
そこで実践できて信憑性がありそうなものを取り入れていった。

朝は同じ時間に起きて散歩に出かけ、3食バランスの考えた食事を作り、夕方はランニングに出かけ夜は早く寝るようにした。

正直、外に出るのは怖くて仕方なかった。
でも言い聞かせた。

【僕がいくら外を怖がっても外の世界は前となにも変わっていない】

変わってしまったのは僕のものの捉え方だけだ。

だから大丈夫。だから大丈夫。だから大丈夫。

朝の散歩はまだ人が多くない時間に起きて、出来るだけ距離を伸ばすようにした。

途中にお寺や神社があると参拝した。

神なんていないと馬鹿にしていたのに神に頼るしかなかった。

でも道標は失っていなかった。

絶対治る。いや、絶対に治す。

なぜかその根拠のない自信だけはあった。

俺はまだここで終わらないと。

中編へ続く、、









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