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出歩くという事

   出歩くという事
                           鳴沢 湧 

 自分史のグループ『おもい川』のメンバーで平成十八年に一泊旅行を行った。途中立ち寄った大内宿での事である。メンバーの女性が、昼食の蕎麦を食べきれないから私にくれるという。要らないと言うのに認知症の兆候が出ていた彼女はしつっこい。板の間の自分の席を立って私にそばを押し付ける。
 喧嘩も出来ないので食べ終わった笊に移してもらった。彼女は自分の席へ帰ろうとして足を滑らせて仰向けに転倒した。
 一瞬、メンバーの全員が凍りついた。
彼女が大きな怪我をしたら大変だ。彼女だけの問題では済まないことになる。
幸いその時に怪我はなかったが、
「認知症の兆候が見えていたのに一泊旅行に連れ出したこと自体が、迷惑なことだった」と言われかねない。世の中のことは全てが善意で済むわけではない。
 その年で自分史『おもい川』の執筆活動はは終わった。その後も代表者は昼食会をしようとか、花見をしようと言ってメンバーを集めた。
 中華食堂の座敷で、前に大内宿で転倒した女性が立ち上がれなくなった。食卓の下の床が切ってあって、足を踏み込めるように低くしてある。足を上げて出る事が出来なかったのだ。
後ろから抱き上げて立ち上がらせるのは私しかいなかった。
私だってその時七十七歳、若い時とは違う。「転んだら」と思った。「どちらが怪我をしても大変だ」冷や汗をかきながら「家族の立ち会わない会合をしてはいけない」と思った。

 六年くらい前に左膝がキクッと軋んだのがきっかけで違和感を感じるようになった。
 その後振り向いたりするときに股関節の力が抜けて一瞬よろめく事があった。
不安に思っていたのだが買い物の途中で左足の力が抜けて歩道から店舗の駐車場へ三歩ばかり入ってしまった。踏み止まったものの歩道へ帰ろうと方向を変えた途端仰向けにひっくり返ってしまった。
怪我はしなかったのだが、そんな状態になってしまったのだ。

 小山市中央公民館で開かれているエッセィの講座に出席するのに、初めは自分の足で歩いていたのに何時のころからか、お仲間の車で送り迎えをしていただいている。
 コロナのために郵便で先生に原稿を送り、添削、講評をしていただいて返送していただいた時期がしばらくあって去年の十一月、久しぶりに送り迎えで参加させていただいた。
 十一月のその時に、こんなリスキーな身でお世話になっていてはたとえ事故がなくても申し訳ない事だと思い「今後は通信教育で先生の添削、ご講評をお願いします」と申し出てご了解いただいた。
 会員としてSNSで連絡をしてもらったり、たまには遊びに来てもらえれば嬉しいと思う。それにしても八十七歳になる今までこういう会のお仲間でいられたのは、有り難い事だと思う、が何事にも始めと終わりはある。
人生の終末に周りの人たちや身内、親戚にできるだけ迷惑をかけないでいたい。
我が子夫婦だけには甘えてもいいかな、と思う。
                        二〇二二年一月一〇日


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