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妻と子のおかげで今まで生きられた

最近食べ物の匂いが気になって特に魚は食べにくくなりました。
9月25日(月)9時ころ、牛丼でも食べたいし、柑橘類はグレープフルーツ、文旦、橙、薬に合わないために禁じられていますので、近くの店では買えないネーブルでも買いたいとマルエツまで行きました。
健脚だったころなら20分で歩けた距離ですが、バスで行きました。
バス停まで歩いて5~6分、バスに乗って15分、少し手前の停留所でバスを降りてドコモショップへ寄って、解らなかったことを質問しましたが、パソコンとの関連について、はっきりした答えが出ませんでした。
ドコモショップとマルエツまでは200メートルくらいでしょうか。
マルエツまで歩いてネーブルと他に3つ4つ買い物をしました。商品が多く、家が近ければいいな、と思いました。
すき家が100メートルほど引き返した所にあるのでそこで牛丼を食べました。しばらくぶりの牛丼に堪能して帰りのバスを待つこと30分、よほどタクシーを呼ぼうと思ったのでしたが、日陰に身を寄せてバスを待ちました。帰宅したのが正午に近い時間でした。
買い物は少しだったけれど、気晴らしになったと思いました。
気晴らしのための外出でしたし、それほど疲れたとも思っていませんでした。
二日経って昨日、全く食欲がありませんでした。
便秘のためかと思って便所で呻吟したのですが、効果がありません。
昨日と今日食欲のないまま無理に少しずつ食べ物を口にしていました。
今日昼過ぎに少しお通じがあって多少は元気が出ました。
別に苦しみも痛みもなくベッドに横たわって「もう88歳迄も生きたのだからそろそろ良いかな」なんて考えてしまいました。
結婚して子供ができて、「妻子への責任」に目覚めるまで「生まれてこなければよかった」という思いから離れることができませんでした。親から干渉されないようになって初めて自分の人生を生きたのでした。
「妻と子のおかげで今まで生きられた」
それが私の人生でした。
88年の中61年が自分の人生でした。
追記
私の生家は長野県です。所帯を持ったのは新宿からバスで10分くらいだったか、若松町という停留所で降りて、夏目坂の夏目荘だったと覚えています。
結婚したその月に新居に乗り込んだ父が、
「嫁も共働きして、家に金を送れ」
などと言いたい放題を言って、
「家の子が稼いで戦後の農地改革で田畑を失った家を盛り立てるのが当たり前だ」
「嫁が遊んでいるとは何事だ」
という騒ぎでした。
私は、
「自分の家庭の事は自分たちで決めます。父さんの理屈では、妻が家の犠牲になっている母さんと同じになってしまう。それではこまる」
父と大喧嘩をしたのでした。

家を出た子。長男失格という次第でした。
それからが自分の人生でした。

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