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古代エジプトのスイーツ

こんにちは。暖冬とはいえ、今日は冷気が身に沁みました。健康診断に行ったところ、元気の太鼓判を押されました。

何かを定期的に発信することが心の健康にとっても良いことに今更ながら気づいたので、これからはちょこちょこ更新したいと考えています。今年はヒエログリフを書いてみるオンラインの講座にも挑戦してみたいです。講演のご依頼もお待ちしております。ところで、皆さんは柿が好きですか?シャリッと瑞々しいのも、熟れてトロっとしたのも、干して飴のようになったのも、異なった風情が楽しめますよね。

全部苦手な人なんています?・・・私です。生意気だった子供の頃から、柑橘のような香りと酸味のない柿は甘いだけの役立たずだと思っていました。色はあんなに鮮やかで美味しそうなのにね。自宅の庭には柿の木が二本あり、毎年秋になるとうんざりするほど食後に登場します。なにより、シワシワに水分を抜かれて寒風の軒に揺れる古臭いイメージは、ケーキに完全に洗脳されていた子供時代に受け入れることができなかったのです。

考えてみれば、柿は古くから庶民の手に届く甘味として大変重宝されてきました。生の状態でも糖度は20パーセント近くあるそうで、一般的な葡萄と同程度なのだそうです。コーラが10パーセントであることを考えると、思ったよりもずっと甘いですよね。ありふれているのに貴重な糖質を提供してくれるスーパーフードと言えるでしょう。

古代エジプトにもそんな万能な果物がありました。棗椰子(ナツメヤシ)の実です。エジプト語でベネル(bnr)と呼びました。これは「甘い」も意味します。私たちにはデーツ(dates)という英名の方が親しみがあるかもしれません。薬膳料理などにも使用されるので、日本人にまったく馴染みがないわけではありません。それでも、ふだん花木の姿を目にすることはないでしょう。中近東ではもっとも一般的なヤシの一種で、くすんだ田舎の庭、街灯が並ぶナイル沿い、暇そうな遺跡のチケット売り場、どこにでもあります。果実はヒトの指ほどの長さの中太で、黄や赤の外皮で包まれています。干すと赤紫に変色します。サツマイモのように少し繊維質ですが、ねっとりとした羊羹にも似ています。生食も可能ですが、皮付きのまま干すのが一般的です。市場では大袋に溢れんばかりに山積みになって売られています。断食が終わると皆に配って、耐えた時間を共に喜び、乾いた口を慣らすのにちょうどいい。おじさんのポケットから出てくるときもあります。素手でぶっきらぼうに渡される埃っぽいデーツに戸惑うこともあるでしょう。そんなのが古典的なエジプトの風景です。

典型的な庭園の様子
木々の間に交互に生えるすらっとしたのがナツメヤシ。葉根に実がびっしり生じる
ネブアメン墓(原在地不明)、第18王朝時代、テーベ、大英博物館蔵(BM EA 37983)

デーツが群実する様子は圧巻です。食べかけの葡萄の房のようにまばらなのもありますが、育ちがいいと夥しく密生し、葉の下に複数の房が弓なりにしなってぶら下がります。自重で折れるのではないかと心配するほどで、遠くから一見すると黒い卵を抱えた甲殻類のような不気味さがあります。数でいえば、我が家の柿の比ではなく、「ありがたなさ度」は百倍ありそうです。正直にいうと、初めて口にしたとき、干し柿と似た食味にちょっぴりがっかりしたのを覚えています。ザクロやイチジクをすでに知っていた古代エジプトにも、つまんない味だと感じていた子供はたくさんいたのでは。そういう子は神に捧げられたもっと上等なお菓子の味をどこかで覚えてしまったに違いありません。

新王国時代のセンエンムウト墓(TT 353)から発見された碗に盛られた棗椰子の実
紀元前15世紀、デール・エル=バハリ出土、メトロポリタン美術館所蔵(MMA 27.3.505)
南国からの献上品
個別の網袋に詰められた赤い実(ドーム・ヤシか?)を猿が物色する様子。右端に豹の毛皮、左端に象牙が見える。猿もまた献上品だったのだろう
紀元前15世紀、レクミラ墓(TT 100)
Davies, Paintings from the tomb of Rekhmire at Thebes, 1935, pl. 14より

それは蜂蜜のお菓子です。あちこちの神殿に残る記録によると、甘い贅沢品は大抵神様に捧げるパンとして登場します。例えば、bitと呼ばれたパンは同音語の「蜂蜜」を混ぜた平たい菓子だと考えられています。また、dqr(「果実」の意)という正体不明のフルーツパンも知られています。そんなわけで、パンではなく「ケーキ」と訳すことも一般的です。庶民は神殿からおこぼれを貰うことを楽しみにしていたと思います。当時、サトウキビやテンサイは知られていませんでした。

カイロの有名なパン屋さんEl-Abd Pastry
ウクライナに小麦輸入を大きく頼るエジプトでは、紛争のせいでパンの値段が大暴騰して、家計がとても圧迫されているそう。ガザの危機も加わって心配の種が増えています
(古い写真なので外観が変わっているかもしれません) 
紀元前15世紀の養蜂の様子
煙を送りながら、素手で白い蜂の巣を取り出すところ
紀元前15世紀のレクミラ墓(TT 100)の壁画の筆写
Nina de Garis Davies画、メトロポリタン美術館蔵(MMA 30.4.88)

今も昔も蜂蜜が甘味料の王様なのは間違いなさそうです。紀元前15世紀に宰相だったレクミラは養蜂を自分の墓に描かせています(上図)。それによると、当時も煙でハチを追い出す方法が採用されていました。ハチは巣箱ならぬ巣筒で繁殖させるのが一般的だったようです。両端の開いた円筒状の土器は今でも世界中で使われているんだとか。レクミラの絵では、筒の一端しか開いていないように見えます。宰相はファラオの次に偉かったので、きっと蜂蜜には不自由せず、舌も肥えていたんでしょうね。

トトメス三世の年代記によると、ファラオは外国から蜂蜜ワインなるものを献上させたようです。そもそも、ハチは王を象徴する昆虫です。エジプトの上流地域(=上エジプト)と下流地域(=下エジプト)の両方を統べる支配者として、王は次のような特別な称号を持っていました。

ネスウトは上エジプトを象徴するスゲ(菅)、ビティは下エジプトを象徴するハチでした(半円形の文字は女性形を表す)。これらの文字を組み合わせて一つの漢字のように使用し、ふつう「上下エジプト王」と訳します。なぜそれぞれの地域のシンボルとなったのかは不明ですが、とても重要だったのは違いありません。

プーさんではないけれど、私も蜂蜜は大好きです。朝食のヨーグルトに混ぜるのが好きですが、歯が知覚過敏なので冬は控えています。顔の真ん中や手首に謎の長く細い毛が生えるなど、すっかり歳をとりました。さらになんと、最近になって干し柿のナッツのようなコクが美味いと感じるようになりました。これまでのイケズをちょっぴり反省しています。来年は干し柿を自作するかもしれません。ご近所に配ってイチゴと交換できれば最高です。

(おわり)


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