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「腑に落ちた」という体験

 先日、ある環境改善講習会に参加しました。その講習会は私も参加している地域の山を整備しているグループ(野土ぬづちとは別のグループ)の身内向けの講習会で、講師の方は大地の再生の手法や『土中環境』の著書の高田宏臣さんの技法も学ばれている方々でした。
 
 講習会の内容としては、初日の午前中は座学を行い、その後は整備している山全体を見て回って山の環境を確認し、2日目に特に水脈の滞りのある個所の改善作業を行いました。

メンバーの住職さんのお寺で実施した座学の様子


水脈の滞りのあった箇所の溝堀作業

 今回の講習会は私にとって非常に学び多きものでした。
 最も大きな収穫は大地の再生でよく言われる「五感で感じる」という言葉の意味を体感できたことです。

 講習会で、講師の方がみんなに自分の呼吸の状態を観察するように促した場面がありました。コンクリートの水路が山の谷に流れる分岐点の箇所で、コンクリート水路に向かって意識を集中させた状態での呼吸の状態と谷に向かって意識を集中させた状態での呼吸の状態を比べてみるように促したのでした。私はそれを比べてみて、明らかに自分の呼吸のしやすさに差がありました。具体的にはコンクリート水路に向かって呼吸していた時はみぞおちの辺りに詰まりを感じ、谷側に向かって呼吸した時はその詰まりがとれたような感覚があったのでした。
 講師の方は「環境が良い状態であるか悪い状態であるかは、それに向き合う自分の状態を見たら分かる」という意味のことを説明されました。私にとっては胸の詰まりとして知覚されましたが、人によっては「美味しそう」「まずそう」という味覚として知覚されることもあれば、「明瞭に見える」「ぼやけて見える」といった視覚として知覚されることもあるそうです。五感のいずれで知覚されやすいかは、人によるのです。

 私は大地の再生の講座を何度か受けましたが、どうしても「五感で感じる」の内実が分からないでいましたが、今回、胸の詰まりの有無によってはっきりそれを体験でき、とても感動しました。いままでどうしても「分からない」と思っていたことがようやく腑に落ちたのです。

 また、五感で感じることが体験できた時、逆説的に「自分の状態は外部の環境の影響を強烈に受けているんだな」ということも理解できました。
 自分の呼吸のしやすさがどこに意識を向けるかで変わるということは、外部の環境の影響を自分の身体は強く受けているということです。今回、自分の身体の状態に深く注意を向けていたためにその変化に気づくことができましたが、普段はこうした変化を見過ごしていたのだと思います。
 これは例えば、自分の部屋が汚い状態であるときと掃除して綺麗になった時では、その場における自分の身体の状態は異なるのだと思います。そしてその部屋で瞑想をするのであれば、どちらの状態の部屋の方が瞑想がしやすいかというのは想像すればたやすく分かるようにも思います。

 その他にも大小さまざまな学びがありましたが、それらの学びが得られたのもメンバーの仲間たちのおかげでした。上記のように自分の状態が環境の影響を強く受けるのだとしたら、私がこの講習会で多くの学びを得られたのも外部の環境、つまり一緒に講習会に参加したメンバーの影響が大きいです。実際、作業を行っている時もメンバーのみなさんのセンスの良さには驚かされることばかりでした。そうしたセンスの良い方々と一緒に作業をできたため、呼吸のしやすさの変化も含め、今までの環境改善の講習会の中で最も「あ!分かった!」と思える状態の多い講習会になったのだと思います。


 「分かった!」と気づけることの多い講習会ではありましたが、まだまだ分からないこともたくさんあることにも気づけた講習会でもありました。
 講師の方が「疑問を持ち続けることが大事。疑問を持ち続けながら自然と向き合うことで、ある日答えが見つかるようになる」と仰っていました。講習会の中でまだまだ気づけないこと、なぜこうなるのだろう、と疑問に思えたことを忘れず胸に抱き続けて、自然と向き合って行きたいです。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!