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「読み違えてるかもな」という留保

 野土ぬづちの活動や仕事でのやり取りや弓道部OB会での活動などで、最近は人とやり取りすることが増えました。そしてやり取りするときに毎回会って話すこともできないので、LINEなどで文字でのやり取りすることも多くあります。しかし、文字でのやり取りが頻繁になってきて気づいてきたのですが、文字だけのやり取りだと誤解が生じたり、ニュアンスが違って伝わることで行き違いがたびたび生じます。

 対面でお互いの顔を見ながら、声を聞いて話せば伝わるのに、同じ内容を文字でやり取りすると途端に冷たく感じたり、高圧的に感じたりすることがあります。
 例えば私がAという意見を出したとして、他のメンバーが「AではなくBだと思います」というようなメッセージを返したとき、Bという意見を出した相手は純粋にBの方が良い、という提示に過ぎないのに、受け取る側の私からすると自分の意見を否定された、拒絶された感じを受けることがあります。
 これが対面で話していて、相手がちょっと困った表情で、あるいは笑いながら「いやーちょっと髙橋さんの意見とは違いますけどBだと思いますよ」と言われたら、私は否定されたような感じはそこまで受けないと思います。
 しかし、文字でのやり取りだと、必ずしも口語的な表現を用いないこともあり、冷たい印象を受けがち・与えがちです。
 文字での行き違いがあった時は、改めて対面で会ったり、電話をしたりして、その都度誤解を解くように努めていますが、そういう経験を繰り返すうちに「俺は文字情報をちゃんと発信者の意図通り読めているのだろうか?」ということを疑問に思うようになりました。


 私は普段、文字情報から情報を得ることが多いです。
 最近は読書量が減ってしまいましたが、本によって情報を得ることもありますし、ネット記事を読んで情報を得ることもありますし、フォローしているnoterさんの記事で情報を得ることもあります。
 実際にリアルで会うことができる相手であれば、会ったり電話をしたりすることで、文字情報での行き違いに気づけて修正することは出来ますが、文字でのやり取りしかない相手だと、そういう修正もできません。そもそも、行き違いが発生しているということ自体に気づけていないかもしれません。
 
 私は今まで、無意識に「私はちゃんと文字情報から相手の意図を正しく読み取れている」と思っていました。しかし最近頻繁に文字でやり取りすることによって多くの行き違いを経験して「いや、俺今までちゃんと文章読めてたか?」と疑問に思うようになりました。というより、多分読めてないだろうと思ったのです。

 文字でしかやり取りできない、本やネット記事やSNSといったものについて、行き違いをどう防止できるか、というと、なかなか有効な手段は少ないように思います。そもそも、対面でコミュニケーションをしている相手であっても行き違いは日々生じているのに、文字でのやり取りの相手との行き違いを完全に無くすのは無理だろうと思います。
 その中でとれる手段としては、確認を取ることが考えられます。「私はこう受け取ったけど、あなたの意図と合っていますか?」という確認を取ることです。
 しかし、毎回一々確認するのはお互い煩わしいですし、失礼に当たることもありますし、そもそも交流の無い本の著者やネット記事の筆者相手だとできないため、有効な手段とは言い難いです。

 となると、私ができる対処策は、「自分の理解に一旦留保をつける」ことです。「私はこの文章からこう理解したけど、もしかしたら間違っているかもしれない」という留保をつけることです。その留保をつけておけば、自分の理解が違うと思える場面が来た時に速やかに修正できます。
 それでも完全に理解の誤りを防げるわけではないでしょうが、多少はマシになる可能性は上がります。


 考えてみれば、今のようにSNSが流行して毎日文字だけでコミュニケーションをとる、という環境が多くの人にとって当たり前になったのは近々2,30年くらいのものです。そうだとすると、文字でのコミュニケーションという文化は歴史も浅く、全く洗練されていないので、不都合が起きることも多いのは当たり前と言えます。
 そういう意味でも、「俺、読み違えてるかもしれないな」という留保は最低限必要なマナーと言えるかもしれないと思いました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!