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弁柄

弁柄の歴史は古い。弁柄とは古来から使われている赤色顔料のことである。

75000年前のアフリカの洞窟壁画や15000年前のアルタミラ(スペイン)でも弁柄の赤が用いられていた。磁硫鉄鉱石から得られる赤は魔除けの意味と、旺盛な生命力の象徴の意味があって古来尊重されてきた。
日本でもBC7000年ころからあり、飛鳥奈良のころには社寺を美しく彩った。近世岡山の銅鉱山で銅の採掘の時に、一緒に出てくる硫化鉄鉱からローハ(緑礬)を取り出す技術が発明され(30日間焼き続けてから各段階で水処理や乾燥を行って可能)、ローハから弁柄を作る方法が編み出された。これにより極めて質の高い鮮やかな赤の顔料ができるようになった。  
神社仏閣だけでなく、古都の弁柄格子の通りなどはまことに風情があって写真の題材に好まれる。当時の弁柄は高価で家々が弁柄格子を並べるには、現代の商店街アーケイドを綺麗に繋ぐような費用がかかったはずである。
この弁柄も現代は工業的に安く大量に供給されているが、チョーキング現象などを起こしやすく、本当に良いものは未だにローハ弁柄である。
吹屋の西江邸では18代当主が昔ながらの製法でコツコツと作っていて、国宝級の建物の修復などに用立てている。有田の赤絵などもここの弁柄にこだわり、作家によっては自分で弁柄を作る人もいる。

(写真は那覇の首里城。20数年前に復元された際に弁柄を再現)

#技術 #国宝

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