騒ぐよりも、成人式は淡い思い出ひとつあるくらいでいい

例年、荒れた成人式のニュースが大きく取り上げられている。私の地元である横浜市はそういった印象がなかったが、それでも壇上に上がろうとする人がいたり、式の間にどなり声が飛び交っていたりしたようだ。

こういう場面で騒ぐタイプの友達がいないのもあって、私は成人式で暴れたくなる気持ちはあまりよくわからない。ちょっとハメを外したくなってしまうものなのかもしれない。ただ、彼らがもっと大人になって成人式を振りかえったときに、それはどんな思い出になっているのだろうかと考えててしまう。

私はひとつだけ忘れなれない成人式の思い出がある。

そのとき、1つ年上の彼氏がいた。成人式を迎えた日の朝、「今日は部活の練習があるので晴れ姿を見にいけなくて残念です」とメールをくれた。そもそも私は彼が成人式に来てくれるなんて思ってもみなかったので驚いたが、こうやって連絡をくれるマメさをありがたく感じていた。

成人式の最中、突然彼から着信があった。練習の合間にわざわざ電話をくれたのかと思って折り返してみると、急きょ練習が早く終わったから、今から行くから一瞬だけでも会えないかと言われた。

待ち合わせ場所の横浜駅に現れた彼は「一緒に写真撮るのに、私服じゃちょっとどうかと思って」とスーツを着ていた。いつも大学ではスエットで授業を受けているような彼が、練習終わりに横浜まで1時間以上かけて、わざわざスーツを着てきてくれた。私は「二回も成人式に参加したみたいでおいしいね」と冗談を言ってみたものの、本当はすごくうれしかった。

その後に同窓会もあったので、本当に少しだけしか一緒にいられなかったが「普段練習が早く終わることなんてないのに、今まで監督のことが嫌いだったけど今日で好きになったわ」と彼は爽やかに言い残して、また1時間以上かけて帰っていった。

よく考えてみれば、人生に一回しかないイベントって意外と少ない。誕生日もクリスマスも毎年やってきて、毎年新しい思い出ができる。どんなに大切な思い出も、やっぱり少しずつ記憶が更新されて古い記憶が風化してしまう気もする。それに比べて、人生に一度きりのイベントは、思い出もたったひとつだけ。私にとっての成人式は、この先何年経ってもこれだけで、1月11日になるたびに思い出すのはその人のことだと思う。

彼氏が来てくれたことくらいで舞い上がってしまうような幼さは、とても「一人前の大人」として扱われる日には見合わないかもしれない。だけど、成人式は仲間で騒いで誰かに迷惑をかけた思い出よりも、誰かが自分のために会いに来てくれた思い出の方が後々の人生の助けになるなと最近思うようになった。この先人生でつらいことがあったとしても、年に一回、過去に戻りたくなるような思い出があるという事実は意外と今の自分を救ってくれたりもする。

私は来年も再来年も10年後も、荒れた成人式のニュースを見るたびに淡い自分の思い出を思い返しては切なくなり、新成人の方にも同じように一生忘れられないような素敵な一日になってほしいと思う。

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