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喧噪のニューデリー(インド旅⑥)

ここメインバザールのストリートには舗装というものがない.そこは買い物客やバックパッカー,牛や物乞いがごった返す.そこに突っ込む車とリキシャとバイクの自己中心的なことといったらない.彼らは奇妙なクラクションを鳴らしまくり避ける人々を避けるといった風に進んでいく.バイクの”ビーッ”というクラクションは,とにかく何でもいいから避けてくれといっているようで非常に滑稽な,しかしそれでいてインドを感じる代物だったりする.

メインバザールを歩けば両サイドにびっしり並んだ店,楽器(ジャンベ)や鞄を首からぶら下げて立ち売りする者,食べ物を頭上に載せて歩く者,のん気に徘徊する牛たち,なぜかバドミントンのラケットだけ(シャトル無し)で旅行者に売ろうとしている者,旅行者に手を差し出す物乞い・・・,これらの中に延々といることになる.とにかく人間だらけで,正直言って皆同じ顔にしか見えてこないのである.

メインバザールの入口の交差点を進めばニューデリーの駅である.しかし,この交差点は尋常ではない.人,バス,リキシャ,車,牛がとにかくゴチャゴチャになって,全てが自分のわがままを通そうとしている.信号すらあってないようなものであった.しかし,不思議と事故はない.この混沌,無秩序のカオスこそがインドなのだろうか.インドに来て3日目ともなると,色々なことを余裕を持って受け止めることができる.

ニューデリーを発ちインドの聖地バラナシへ向かう日,私がいつも通り宿の向かいにある食堂で朝食のターリーを食べていると,まだ記憶に新しいトクナガ君と再会することができた.再会とは言ってみたものの,お互い同じ宿にいるのではあるが.

彼は今日も怒っていた.理由を聞くと,どうやら彼がここで知り合った日本人ツーリストが昨日,悪徳旅行代理店で18000ルピー(45000円)のツアーを契約してしまったというのだ.契約した本人はあきらめているらしいが,トクナガ君は許せない,どうにかしてお金を取り返したいと語気を強めた.

契約までの流れは私の経験したコースと同じだった.日本人のおじさんのいる旅行会社に連れて行かれて,そこでツアーの手配をしてしまったらしい.話の内容から察するに,間違いなく私が昨日の朝に勉強代の100ルピーを置いてきた店であった.なぜかトクナガ君は薄く印字された(被害者の)領収書を持っていたが,金額以外の情報は無いといって良く,警察に持っていってもしかたのない空しい紙切れである.被害者は諦めているようなので仕方がないと,私はトクナガ君をなだめていた.せっかくインドに来たのだから,こういう場合さっさと割り切って楽しく旅をしなくては損ではないか・・・.

この類の”ボッタクリ”は日本人の金銭感覚の違いを逆手に取った悪質な行為である.おそらく彼は1~2週間ほどのスケジュールを言葉巧みに組まされてしまったのだろう.日本国内をそれだけの期間旅行すれば45000円くらいすぐにかかってしまう.列車やホテルの手続きが面倒と言われれば,ホテルは安全な場所がいいと言われれば,そんなものかと納得してしまう.特にインドに来て間もない,相場を知らない旅行者は彼らのいいカモでもあるのだ.言うべき時にはっきりとNOを言えない日本人の性格も災いしたのかも知れない.しかし,この辺のさじ加減(YESかNOか)は状況判断も必要であり,難しいところではある.


バラナシへの夜行は午後4時25分にニューデリー駅を出発することになっていた.私とトクナガ君は目指す座席に着くため,ニューデリー駅に向かった.列車に乗るためのノウハウを学びたいというトクナガ君はプラットホームまで私について来て,とにかく人の多さに驚いていた.

ニューデリーの駅のホームは相変わらず盆や正月の帰省客で溢れる東京駅のようである.東京駅と違うのは多くの客がホーム上に座り,気長に列車を待っていることである.
2月のデリーは夕方ともなると少し肌寒い.家族で寄り添って座っているのを見ると,ある子供はお母さんの腕輪を外して自分に付けてもらい微笑み,ある兄弟は追っかけごっこをし,立って新聞を読んでいる客にぶつかると持っていたミニカーのようなものを落として,それを別の客が拾い上げて返してあげる.ある客はホームを歩くチャイ売りのおじさんに声をかけ,一杯の温かいチャイでしばしの暖をとるのだった.

ホームに放送が流れると,いよいよ電車が入線してくる.放送は同じ内容のものがヒンディー語と英語で一度ずつ流れる.駅には分かりやすい標識などがないので,この放送はしっかりと聞いて確認する必要がある.
大体,インドでは,乗りたい列車とその列車が発車するホーム(発番線)の照合は改札付近の黒板(ムンバイでは電光掲示板だったが)にしか書いていないことが多い.日本と違い,発番線と客車番号については直前に掲示されるのである.これを見て目的のホームに行き,流れる放送の内容から行き先が正しいことを確認しなくてはならない.

さらに,自分が列車の何号車に乗れば良いか,これも初心者には難しい.インドの夜行列車は2~3日かけて走ることが珍しくなく,よって,車両数が非常に多い.7階級に分かれた車両クラスはそれぞれ3~5両に及ぶ.私のチケットには列車番号,車両クラス,座席番号が記されているが,二等寝台を示すS3の車両クラスだけでも5両程度ある.長いホームのどこにS3クラスの5車両が止まるのか,そのなかでどこに私の座席があるのか・・・.慣れないうちは難しいのである.

午後4時20分,バラナシ行きの列車が入線してきた.私は何とかS3クラスの車両を見つけ,(おそらくニューデリー駅で駅員によって車両ドアに貼られた)列車の”座席予約確認表”らしきものに自分の名前を確認して乗り込み,無事に座席につくことができた.

ここまでの一部始終を見て,トクナガ君もノウハウが分かったようで,満足そうな顔をしていた.彼は偶然にも同じ飛行機に乗り合わせ,デリーの空港から同じタクシーで見知らぬ夜のデリーへと飛び出した旅の同志であった.私達は別れ際にがっちりと握手をし,お互いの旅の無事を祈った.

夜行列車は予定時刻から5分ほど遅れてニューデリー駅を出発した.先ほどまで車内でチャイやサモサを売っていた売り子(おじさんだが)は慌てて列車を降り,窓から手を差し伸べてバクシーシをねだっていた物乞いのおばあさんも諦めて手を引くのだった.盛土を走る列車の窓からはデリーの暮れ行くオレンジの空と緑に包まれたはるか遠くの景色までを見ることができた.それは,喧騒のデリーがいかに広い,広大な土地のたったの一部であったかを感じるものであった.

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